ジャンヌ・ダルク

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その時代背景はこんな感じ…ジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc, Jeanne d'Arc という綴りは後世に変化したもの、)は、後の復権裁判でのある証言によると、1412年1月6日にフランスのロレーヌ地方にあるドンレミ(ドムレミー)村の農家である父ジャック・ダルクと母イザベル・ロメとの間に生まれた。ジャンヌにはジャックマン、ピエール、ジャンという3人の兄とカトリーヌという姉がいた。村の教会はランスの守護聖人である聖レミギウスに献じられていた。聖カトリーヌの彫像もあった。 その頃フランス北部(ノルマンディー)は、ブルゴーニュ派と連合したイングランドに占領されていた。フランスには1422年にシャルル6世が亡くなって以来、国王が不在だった。 シャルル6世は跡継ぎとして王太子シャルル(後のシャルル7世)を残したが、フランスの王位はイングランドのまだ幼いヘンリー6世に相続された。これは、百年戦争、およびアジャンクールの戦いで生じた血で血を洗う攻防戦を終了しようと、1420年にシャルル6世およびイングランドのヘンリー5世によって署名されたトロア条約の結果だった。 条約の文言には「ヘンリーは、シャルル6世の娘キャサリンと結婚し、シャルル6世の死に際して、王位は彼らの子に継承され、2つの王国を統合する」とあり、これは実質的に、王位継承のラインからフランス王太子を外す事を意味し、多くのフランス貴族によって反対された。 とはいえ、ヘンリー6世は幼いため、フランスのランスでフランス王としての正式な戴冠式を行えなかった。実はここに、追い詰められたシャルル7世側の形勢逆転の可能性も存在していたのである。image=153123167.jpg
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