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教室の授業とは、先生とは、生徒とは一体いつまで、いつまで同じやり方で、いつまで同じ手法で、学問を教授しているのだろうか。
黒板に羅列される、粉の集合。つまりそれは文字であるのだが、僕としてはチョークで書こうが、ましてや鉛筆やシャープペンシルで描こうが、ただの粉の集合である。
人間は、いったいいつまでこんなくだらないことをしているのか。この学校というものは、何を目標として先生を雇い、何を目指して生徒を匿ったのか。
僕の昔の友人は、天才を作るため、疑似的にでも天才と自惚れたナルシストを形成するためじゃないかと言った。
僕は、反論した。天才とは、異才とは鬼才とは誰の手も借りず、誰の足もひっぱらず天才であり、また、異才であり鬼才であると僕は思ったからだ。
ナルシストな天才。それはただ、自分の世界、自分だけの空間、自分のみの次元での中、故に、天才なだけであり、そんな自分相手でしか天才になりえない物を製造して、一体、何になるのだろうか。
「……いや、そういう矛盾したところが人間らしいと云えば、人間らしいのか」
こうして眺めてみると、随分と滑稽(こっけい)な眺めてある。一体全体、何を思って、何を感じて、何を思考して、自分の大事な五体を動かしているのだろうか。
いや、そもそもこいつらは自分と云う物、自分という存在は大事なのだろうか。まぁ僕は自分という物に対して一ミリも信頼を置いていないので、そこら辺は人のことが言えないのだが。
ああ、こういう時は、そう。妹のことでも考えようか。あの、人が嫌いで嫌いでしょうがない妹(故に、僕のことが大好きで大好きで大嫌いなのは秘密だが)。
この前は俺が自分の部屋に入ったら俺の布団で眠っていたっけか。ああ、あの時は忍びなかったが、俺は妹の部屋で寝るしか余地はなかった。いや、妹を起こせばそれまでなのだが、うちの妹に限ってまさか普通に自分の部屋に戻って寝床に着くなどの最善の方法はとらないのでしょうがなかったのだ。
結果、僕は興奮して一睡もできなかった。
この場合の興奮とは、いわゆる性的な意味ではなく、妹の部屋にあった小説が原因だろう。あれがなんとも、奇々怪々にして面妖な物語で、いや、そんなことはどうでもいいのか。
だって、全ては戯れ言なのだから。
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