八月

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河合塾主催の全統模試。 それは甲子園で各都道府県を代表した高校の野球部員が熱戦を繰り広げている中で受験生が真夏にペンを握って答案用紙を相手に闘う聖戦である。 ここでの判定は単なる判定以上のものがあると個人的には思っている。 だから全統模試の一週間前はバイトを休み彼女と会うのも控えた。あくまでも会うのは予備校の中だけで予備校帰りのお喋りはお預けすることにした。連絡はメールだけにし、メールだって朝と夜の挨拶と1日の勉強の成果を教えあうだけだった。 ほとんど修行僧に近い生活だったと思う。受験というよりは模試のために勉強をするさまはどこか奇妙だったが、そんなことを検証する余裕など全くなかった。 一週間は家族と話した記憶など無かったし、最後の3日は彼女と話した記憶がない。きっと話したに違いなかったし、その中のいくつかは笑ってしまうような会話もあったと思う。 それだけ模試のために尽くしていたのだ。 全力尽くすことなしに物事を成し遂げる奴は多い。いや、誰もがそうだろう。問題はその数の多さだ。 手を抜いたことに悔恨して決して次回からはそんな思いはするまいと誓える意志の強さと全力を尽くせない回数は比例するはずだ。 現役時代に僕は受験勉強に一生懸命になれなかった。なんとなく受ければ受かってしまうほど甘くはないと心のどこかで感じてはいたものの、ついに全力を尽くせなかった。 辛く苦しい一年間に身を投げるはめになったわけだ。但しそれを後悔してはいない。 おかげで僕は強くなれた。受験勉強に全力を尽くせるようになった。ようやく僕はスタートラインに立てたわけだ。 東京大学はたまに名前さえ書けば合格してしまうような魔法が発動する地方の屑私立のような大学とは違う。願書を送ったら受験票代わりに合格通知が来るような屑私立とも違う。 東大はどこよりも四年間恵まれた学問の場を提供出来るし、刺激的な日々を約束されたユートピアのような空間なのだ。そこへの到着には途方もない苦難が存在するのだ。 河合塾主催の全統模試だってそのための試しの場にすぎない。いや、そんな場ですらないのかもしれない。
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