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その声によって男は、遠ざかる意識を呼び戻した。
「今夜、最後の真実を貴方に報告します」
そう言って通話を切ると、男はよろめく足で立ち上がった。凶器だったナットを掴み、渾身の力で窓ガラスを割る。何度も力を振り絞り、手が裂けるのも構わず割り続けた。
迫り来る業火が背中を炙る間際、男は鋭利な刃の中を潜り、部屋の中から脱出した。
血と汗で熱を帯びた体に、密集する木々の間から流れる冷風が吹き込む。
悲鳴をあげる肺にムチを打ち、男は山を駆け下りた。林を抜け、炎天下の傾斜を滑り、山道を南へ。
やがて、砂埃の舞う平地に至る。
沿道に倒れ込むと、男は呼吸を整える間もなく、携帯電話を操作する。充電は完了していなかったが、充電器はリュックサックと共に燃え尽きていた。
番号を入れ終え、通話ボタンを押す。微弱な呼び出し音に、全ての神経を集中させた。
『もしもし?』
受話器越しに伝わる美しい声に、意識が霞む。もはや男の体には、生命を維持するだけの機能が失われつつあった。
電波が弱いためか、耳元にノイズが入り乱れた。
祈るような気持ちで、男は精一杯言葉を紡ぐ。
「最後の頼みだ。今すぐあいつに、時が来たと伝えてくれ。それだけで分かる」
男がそう告げると、ただならぬ気配を察したのか、美しい声の持ち主が叫び出す。
だが男には、それに応える余力など残されてはいなかった。
ノイズと叫声の向こう側で天使の笑い声が聞こえたのを最後に、男は瞼を閉じた。
◆ ◆ ◆
――日が沈み、褐色だった街が群青に染まる頃。
大使館の前には、細身のスーツを着込んだ男が立っていた。眉間に皺を寄せ、シルバーの携帯電話を睨み付けている。
薄暗がりの中、ディスプレイから放たれる光で、男の顔が不気味に浮かび上がる。
一向に受信する兆しのないそれをアタッシュケースへしまい、背後にそびえ立つ高層建造物へと足を踏み入れる。
受付け係にIDカードを掲げ、重厚な階段を上った。最上階へ辿り着くまでの間、休日にここへ呼ばれた理由をあれこれと模索する。
しかし、最悪の事態については考えないように努めた。その可能性だけは、確実に否定出来るからだ。
ベルギー製の柔らかな絨毯に足を取られながらも、目的の扉へ向かう。琥珀に艶めく扉の前に差し掛かると、自動的にそれは開かれた。
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