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「おいこら。オメー、仕事ほっぽってなにしてやがる。さっさと行きやがれ」
ピタリと、筆が止まる。
そしてしばし俊巡し、手元を睨み付けるように見つめた。
――今、自分は何を書こうとしていた?
微かな、それでいて我儘で自分勝手な希望を、彼に押し付ける気か。
だめだ、と心の内で呪文のように呟く。
それは、それだけは、決して許されない。
彼を守るために、彼から離れたのだから。
彼は一般人で、夢も持っていた。
だからこそ、その幸せを願い、軋む心を知らん振りして離れた。その意味がなくなってしまう。
「おい!」
「あ…ごめん。すぐに行くよ」
これ以上待たせたら、我が家庭教師様はきっとお怒りになることだろう。
修理費と労力と時間の無駄遣いでしかないそれを、態々させる必要はない。
仕方がない、手紙は後で燃やそう。
そう考え、手紙を机の引き出しに無造作に突っ込んだ。
「じゃあ、行こうか」
「…あぁ」
子供で大人な彼がそれを意味ありげに見ていたことに、そして彼の目の前でそれを行うという浅はかさに気づく者は、その時誰もいなかった。
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