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私は人里から少し離れたその日当たりの良い丘に、ひっそりと生えた牡丹を見つけたのです。
それが、あまりに寂しげに、儚げに、それでいて果てしなく気高く咲いていたものだから。
それが、あまりに美しい、まるでつい今し方、誰かが塗りたくった鮮血のように真っ赤だったものだから。
私はそれに目を奪われ離せなかったのです。
或いは噎せ返るほどの、強く芳しいその芳香に、私は魅せられたのかもしれません。
ともかく私は、その美しい落葉低木を、手に入れたいと強く願ったのです。
私は今まで住んでいた家や家具、所有していた財産を全て金に変え、その資金を元手に牡丹の横に一軒の茶屋を開きました。
この丘なら旅人も通るであろうし、その気になれば畑なんぞも作って生活出来るだろうと思ったのです。
私の店は、春にを少しばかり過ぎた頃に客足が途絶えることなく繁盛しました。
それは丁度花が落ちる頃と重なるのです。
──ぼとり。
重たい音を立て、少し湿った花びらの塊が地面へ引き寄せられるように落下してゆくのです。
そして静かに静かに、そこで朽ちてゆくのです。
あの強い芳香を漂わせながら。
私の店のお客様は、皆さん決まってどこかぼんやりとした、虚ろな目をしているのです。
恐らく、この強い芳香に魅せられたのでしょう。
頼んだ団子や茶を口にすることなく、皆さん一様にして私の自慢の牡丹を眺めているのです。
私はいつだってお客様に尋ねるのです。
どこへゆかれるのですか?
『どこへだったかなぁ。もう、どうでもよい気がする』
本当に宜しいのですか?
『よい。これを眺めていられればそれで満足だ』
それではどうぞ、ごゆっくり。
このやり取りが、そう大差なく、この季節に訪れる全てのお客様となされるのです。
なにしろ飲食も忘れて牡丹に魅入っている訳ですから、大抵のお客様は3日程経つと衰弱なさるのでしょうね。
倒れるような方も出て来るのです。
それでも悲鳴などは一切あがらないのです。
一瞬でもそれから目を背けようとはなさらないのです。
倒れるお客様ですら、その一瞬すらも。
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