第一章、月と闇の狭間で

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『生きて』  誰かの声が心に木霊する。この言葉だけが、走り続けている彼の支えだった。幾度も感じた体の限界も、この言葉一つで騙してきた。  やがて少年は少し開けた場所に出る。中央には焚き火の跡があり、その真上の木々も、そこだけは空を覗かせていた。ほんの明るさが、真実、彼を結果として誘った。走りは歩みへ。よろよろと、空の見える場所まで少年がふらついた。  下弦の月。青白い光が妙に優しい。  闇が引く、孤独の寂寞(せきばく)だけを残して。永遠に感じた時間が動き出し、瞬間、恐怖の緩んだ少年の心が、正常に機能し始めた。  今までずっと忘れていたかのような喪失感、悲痛、そして絶望。闇は退いた。だが代わりに、引くことを知らずに押し寄せては、心の熱を奪う。少年は声を抑えて咽び泣く。呻くように漏れた自身の声が、己に灯された悲しみの色を象徴しているように感じてしまう。緊張の糸が切れ、感情の歯止めが利かなくなるのに、時間はさほど必要なかった。  少年の叫ぶような泣き声が、ぽっかりとした月夜に響く。風は止んでいた。それなのに木々はざわざわと、あたかも少年に共鳴するかのように騒ぐのだ。 「おいおい、こんな所にガキがいるじゃねえか」  ふいに聞こえた自分以外の声。泣くことに没頭していた少年は、まったくその気配に気付いていなかった。振り向いたその先、大柄の、軽薄そうな男が二人立っていた。身奇麗とは対極のなり。粗野が服を着ていた。 「ん、おい。こいつ『禁忌の子』じゃねえか。髪が黒いぞ」  長く伸ばされた黒髪、それを指差して一人が言う。品定めする視線は抜け目ない。無頼の日々を生きてきたことを、その眼に見る。 「はっは、暗くてよく分からなかったぜ。こんなところでおいしい拾い物をするなんてな」  下品のそれと分かる笑いと共に、もう1人の男。けれど少年には最初、言葉の意味がわからなかった。しかし次第に、自分の存在が何であるかを自覚する。  ちらつくのは、目元に揺れる黒い髪。闇に溶けるか、反して闇から出てきたか、知れない。 「へへへ、これでしばらく金には困らねえぜ、なあ相棒」  金を意図する会話へと変わった。いや、元々この男達は、この黒い髪の少年を人としてなど見てはいない。
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