第九幕:果たされた約束

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音舞は答えない。 ただ力なく首を横に振りながら俺を見上げている。 「ひゃ、はっ!」 「――い、あああああっ!!」 堪えられなくなって、俺はつい笑い声をあげながら二度三度と音舞の手の甲をグシャグシャと踏み潰す。 楽しい。 気持ちいい。 最高だ。 何で今まで我慢してきたんだろう? こんな楽しいこと、わざわざ我慢してやることないじゃないか。 「――くんっ!」 そうだ。俺はなぜ今まで我慢をしてきた? 「――きくんっ!」 何で、必死に、俺は―― くらりと、目眩がした。 俺は、本当に、こんなことを、望んでいたのだろうか? 違う。それは、違う。 俺は、もっと、暖かくて、明るくて、みんなが笑っていた世界を―― 「志紀くんっ!!」 「――ッ!」 名を呼ばれて、思い出す。 そうだ。俺は、八雲 志紀だった。 あの人の、息子で、あの人の、彼氏で、あの人と、約束を交わした。 耐えていくと、そう決めた。 八雲 志紀って言う、男だったんだ。 「志紀くん……、もういい」 俺の名を呼んだのは、瀬良だった。 痛みが酷い頭を押さえながら、ふと足元を見下ろす。 「あ……うあ……」 そこにはガタガタと身体を震わせながら、瞳からは涙を流し続ける、怯えた少女の姿があった。 「志紀くん。私は彼女を警察に連れていく」 「……ああ」 「志紀くんはこの公園で休んでいてくれ。……あそこで気絶している美袋も心配なことだし」 そう言ってチラリと倒れたままの美袋を見やる瀬良。 そしてすぐに視線を戻すと、音舞の腕を掴み、ぐいっと引っ張り上げる。 「それじゃあ、行ってくる」 音舞はもう逆らおうとする意思すらないのだろう。 何も言わずふらふらと立ち上がっていた。 「……ああ」 俺は適当に相づちを打つと、視線を上に向けて夜空を見上げる。 「……月、見えないな」 そうして、瀬良たちが去った後に一人呟いた。 「今夜の月は……」 ――綺麗、だった。
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