恋の駆け引き

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翌日は仕事だった。 君と同じシフト。 ちょっと心配だったけれど、僕も君もいつも通りで。 昨日のキスについては、お互い触れなかった。 多分君の中で、あれは事故のようなものだったと受け止めていたんだろう。 いや、あるいは、君にとっては些細な事だったのかも。 でも、僕はそれを軸とした恋の駆け引きをしていた。 半年間、僕の中でくすぶっていた想いは、ついに巨大な何かに変貌を遂げていた。 押すか、 引くか。 引くならば、今まで通りの関係。 押すならば、どうなるかは分からない。 けれど。 押すならばここしかない。 直感のような、 ある種の確信のような。 言うなれば、タイミング。 「これが最初で最後のチャンスだ」 僕はそう思った。 「今日は眠いね」僕は腹を決め、君に話かける。 「うん。結構飲んだしね。ウチ、昨日吐いちゃった」 「吐いたんだ」僕は笑う。「あのさ、今日さ、ご飯食べに行かない」 君はちょっと迷う。 それから、「うん。いいけど」と言った。 「じゃあ、仕事終わったら迎えに行くから」 「うん。分かった」 仕事を終え、妻には会社の仲間と食事に行く、と伝え、僕は君の家へ向かう。 緊張する。 二人で外食する事は、今までにも何度かあった。 でも、今日は違っていた。 会話の流れや、言葉や、色んなあれこれを心の中で反芻しながら。君の家までの約20分の間に、僕は煙草を三本吸った。 今振り返ると、その日僕は初めから、君に思いを伝える事を決めていたんだろう。 だから、自分が既婚者の立場でありながら、思いを伝え、それで、出来れば君と親密な関係になりたいと願った僕は、身勝手で。 この恋に苦しむ君の姿を、申し訳なく思う僕は偽善者で。 でも、 この時の僕はもう、何も見えていなかった。 純度100%のドラッグに侵されたみたいに。
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