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5月13日 15時25分
春が過ぎて、夏までは少し遠い。
まだ雨が一週間の内に一度は必ず降るから、鞄の中には折り畳みの傘がしまい込んである。
今は晴れている。校門に出迎えられた時には欝陶しい小雨が傘を叩いて、三限の体育では止んでいたけれど、校庭がぬかるんでいるという理由で、保健の授業に切り替わった。
その時点で、まだ曇り。
余談ではあるけれど、保健の授業という、ただそれだけで、あそこまで卑猥に盛り上がれる男性諸君をわたしは正直、軽蔑する。
「松本っ」
わたしの軽蔑すべき男子が、軽々しくわたしの名前を背中に被せてくる。
わたしはゆっくりと深呼吸して、足を止めた。彼の声には余裕がない、息切れをしている。きっと走って追いかけてきたのだ。
「……なに?」
慎重に次の行動を吟味した結果、わたしは振り向くことにした。肩越しに、首だけ。
視線の先に、肩で息をする彼。真っ黒な瞳だけが、わたしに揺るぎなく向いている。
「……ちょっと話あんだけど」
「わたしと?」
「そう、お前と」
校門を離れて、歩いて五分で最寄り駅だ。
その改札まで、あと五十メートルくらい。帰りのHRをサボってきたけれど、けっきょく追い付かれたのだから、たいした時間の節約にはならなかった。
そう、わたしは彼から逃げている。
「今日、ずっと俺を避けてたな?」
「気のせいよ」
彼は綾瀬という名前で、今年の四月から同じクラス。名前以外に知っていることはいくつかある。けれど今は必要ない。彼の声が続く。
「昨日、見たんだろ?」
「……見た?」
わざとらしく、勿体振る。彼はそれを見破るかのように、信号の向こうの暗い路地を視線で指した。
「嫌よ」
わたしは彼が怖い。
だから迷わずに首を横に振った。
彼は体育会系の体格にはほど遠い、細い線をしている。足の早さでなら逃げ切る自信はあるし、学校に近いこの場所なら、大声を出して助けを呼ぶこともできる。
それでも、わたしは彼の提案に拒否を選択する。したたかな鷹の鋭さを秘めた瞳に、危険を感じるからだ。
「やっぱり見たんだな?」
「なんのことかわからない」
白々しいやり取りを笑うように、チャイムの音。HRも終わり、生徒達が続々と教室を出る合図だ。
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