落武者狩り

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関ヶ原で勝利した徳川家康は、勝鬨をあげた後、石田三成の居城である佐和山城攻めの軍勢を差し向けた。 また、敗軍武将の探索を命じた。 三日、四日とたつうちに、敗軍武将は次々と捕縛されたいった。 石田三成、小西行長、安国寺恵瓊らは打ち首に処せられた。 宇喜多秀家は八丈島へ遠島。 長曽我部盛親はお家取り潰しとなり、浪々の身となった。 毛利勝永は、お家取り潰しのうえ、山内家へ身柄預けとなった。 真田昌幸、信繁親子は、紀州九度山へ流された。 毛利家と上杉家は、取り潰しにはならなかったが、厳しい処置が下された。
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