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「なぁに?よく聞こえない」
晴子は盛んに振り向いて何かを言おうとしているらしい寛に向かって叫んだ。
だが晴子の声も、この速度では二人乗りバイクの後ろからは届くはずもなかった。
晴子の様子に気が付いて、寛は路肩にバイクを止めて、ヘルメットを脱いだ。
晴子も慌ててヘルメットを外して小脇に抱える。
街の灯りがポツリポツリと着き始め、夕暮れ迫る街角を次第に夜の景色へと変えて行った。
「昨日はごめんな……」
普段は殆ど素直にこんなセリフを吐く事のない寛の態度に晴子は少々驚いた。返す言葉が出てこない。
寛はバイクから降り、ヘルメットを左のミラーに引っ掛けると、後頭部をポリポリと掻きながら下を向いた。
いつものクセだ。
バツが悪くなると頭を掻く。
この辺りが2年前とちっとも変わっていない事が晴子にはちょっと嬉しかった。
およそ『ごめん』の意味は何の事か分かっている。
だが分かっているからこそちょっと困らせてみたい。晴子は寛がどんな顔をするのか見てみたくなった。
「あら?何の事」
さらにバツが悪そうに頭を掻きながら、寛は下を向いまま背を向けた。
面白いものでも見るかの様に、しゃがんで下から晴子が覗き込む。
寛は居たたまれなくなってしゃがみ込んでしまった。
――昨日は付き合って2年目の記念日――
寛だって、決して忘れていたわけではない。
金曜日の残業がキツくて、昼間からソワソワしていたものの、連絡をするのも叶わぬままに、気が付いたら終電の時間を過ぎていた。
晴子の性格からして、今さらこんな時間に連絡したって怒っているに決まってる……
寛は別れを告げられる覚悟で、朝になってから晴子をデートに誘った。
それが今朝の話だ。
晴子は電話越しに『分かった』とだけ告げ、電話を切った。
――完全に怒ってる――
寛の頭は真っ白になり、『別れ』と云う言葉は疑念から確信へと変わった。
探す言葉も見つからぬまま、寛は晴子の家の前でバイクを止めた。心中を悟られまいとしてヘルメットは外さなかった。
程なくしてバイクの音を聞き付けた晴子が家を出て来た。
迎えに来た寛を見ようともせず、晴子は俯いたまま、黙ってバイクの後ろに座った。
笑顔のないままに黙って座る事なんて、この1年今まで一度もなかった事だ。
寛はヘルメットの中で深くため息を吐いた。
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