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宇宙開発が発達した時代。国際天文学連合が出した案を政府が行い、宇宙開発は見事な発展を遂げた。
有人ロケットは勿論の事、スペースシャトルの打ち上げや無重力空間での実験などが成功し続ける日々が日常茶飯事のようになってきていた。
何より、有人ロケットで他の惑星にも行けるという事だ。行ける範囲は決まっているが、地球の隣の惑星・火星には何度となく人が行ったりしている。
NASAでは、人々の意見を聞きいれ〝もっと遠くまで飛べるロケット〟の開発に力を注いだ。
中でも2006年08月24日に国際天文学連合によって“準惑星”とされた、冥王星に行きたいという声が多数だった。
探査機を飛ばして調査した冥王星だけでは満足せず、自分の目で見たいと言う人が多いのだ。
その為に、NASAは政府に頼み資金を出してもらう事にした。資金が増えたおかげで研究に研究を重ね、予定していた完成日より早くに有人ロケットが完成した。
第一号の有人ロケット“HARUKA”は、見事打ち上げに成功し20人あまりの人を冥王星まで運んだ。
人々はその目に冥王星の美しさを焼き付けると、歓喜の声を漏らした。鈍い色ではあるが、微かに輝くその惑星に誰もが心を奪われた。
それからもNASAでは研究し続け、もっと大型の有人ロケットの開発に挑んだ。
各国でも、NASA本部の大きさまではいかないが小さな宇宙ステーションを設け研究が続いた。
中でも日本は、機会技術に優れている為に有人ロケットの開発はすぐに出来た。これまでに探査機などを飛ばしてきた日本だが、初の有人ロケットの打ち上げに成功し全国民が喜んだ。
そんな日本も更なる有人ロケットの開発を研究した。
地球の衛星・月への着陸は誰でもしておりそこで研究する人々の姿が日々見られるようになった。
月では実験室が設けられ宇宙開発の先頭を走っていた。
そして地上にいる、宇宙開発に関わる人は宇宙にいる人の為に、食べやすく美味しい宇宙食の研究が続いた。
こうして宇宙が身近なものになると経済的にも良くなり、人々は裕福に暮らしていた。
街では数え切れない程の宇宙関連グッズが多数販売された。
宇宙だけが発展しているのではなく、地上でも自動車が空を飛んだりロボットが行き来したりしていた。
科学技術の進歩と機械技術の発展が上手くリンクして出来た現在では、更なる飛躍を求めて人々は働いた。
それが大陸歴3029年のことである。
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