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4月5日…
いつまでも遠い神奈川県の病院にいても不便なので、自宅のある愛知県の病院に転院する事になった。
事故から半月ぶりに私は外の空気を吸った。
もう桜が咲いていた…春をやっと自分の目で確かめられた。
テレビもラジオもない病室で、春らしくなっていくのを唯一私が実感できたのは、横浜の親戚の家に泊まり週4日見舞いに通ってくれた、母の花粉症にやられた赤い鼻と目だけであった。
私は寝たままでストレッチャーに乗せられ、民間の医療タクシーに母と共に名古屋に向かった。
やっと家の近くに帰れる…嬉しい気持ちでいっぱいだった。
私は嬉しい気持ちでいっぱいだったが、実は頸髄損傷による副産物で肺炎になりかかっていた。
痰が喉に絡み、呼吸がうまく出来なかった。
「おかあさん…苦しい…」
一刻も早く、転院先の病院着きたいばかりだった。
もう名古屋までの道を半分、タクシーは走って来ていたが、だんだん呼吸困難になってきた私を見て、焦りはじめた母は、後にした大学病院に慌て電話で『戻ったほうがいいですか?』と問い合わせをしていた。
結局、そのまま急いで愛知県の病院に向かうことになった。
ところが、このタクシーはとんでもないタクシーだった。
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