『おばちゃん』

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2007年10月01日 それは、私にとって二度と忘れない日になりました。 いつもの場所、いつもの笑い声、いつものご飯の良い匂い、 そこには、もう… おばちゃんは三姉妹の長女。次女は私の母親。三女のおばちゃん。各自それぞれに一人娘がいて、お婆ちゃんを含めて7人が大の仲良しです。その中の一人が私です。 2007年2月 ずっと、背中と胸を痛がっている『おばちゃん』に、私の母親と三女の叔母が、病院に行く事を進めました。 一、二年前から病院に通ってはいたのだが、一向に治らないのを心配して、病院を変える事になった。 ある日、仕事が早めに終わった私の携帯に母親から電話が鳴りました。「おばちゃんに腫瘍があるみたい。良性らしいけど、結果は、まだ分からないからお母さん心配なんよね」と、母親が不安そうに話しました。 2007年3月 何も聞かされて無いまま、時が経って母親から再び携帯に連絡がありました。「おばちゃん、膵臓癌(すいぞうがん)になったんよ…。あんた達には黙っとくつもりだったみたいやけどお母さん耐えきらん…」て、半分泣きながら電話で話しました。 「とりあえずは、抗がん剤を使ってみるみたいだけど、手術は出来ないみたい…」そう聞かされた時、頭が真っ白になって「そんな事無いよ。お医者さんは、身体を治すのが仕事やろ」と、私は子供みたいな事を言ったのを覚えています。 2007年4月 小倉の病院でおばちゃんは入院をする事になった。皆で、膵臓癌に得意な病院を探して千葉にある病院に、おばちゃんは行く事になりました。 千葉に行った結果、肝臓、腸と癌が転移している為に手術は、やはり不可能だと言われました。 望みをかけて行った、おばちゃんは凄く悲しくて辛かったと思います。 そして、福岡の医療センターに膵臓癌を得意とする先生がいるから、訪ねてみなさい。と千葉の先生は言ったそうです。 小倉の病院に帰って来た、おばちゃんは本当に疲れた顔でした。週末の度におばちゃんの所に皆で行っては、冗談を言って笑ったりしていたけれど、おばちゃんは一人で隠れていっぱい泣いていたんだと思います。 2007年6月 福岡の医療センターに行った結果。「どうして、もっと早く来なかったんだ」と言われたそうです。「君が通っている小倉の病院の担当は私の後輩であり、私が膵臓癌を専門だと知ってるはずだ」
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