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先導するかのように、鴉が頭上高くを旋回しながら鳴く。
その鳴き声が呼んだ夕闇が、背から迫っていた。
少女は腰に差した刀を愛しそうに撫で、鴉の消えた虚空を見つめる。
(どうして来ちゃったんだろ)
目の前の塀は、そういえばいつも自分を威圧してきた。
思い返せば、感情に突き動かされてこの塀の前にやってきた事は幾度もある。
それは、子供のような独占欲だったり、誰かを失う恐怖だったり、さもなくば幸せを教えてくれた人への心配だったり…。
なら、今自分がここに立っているのはどうしてだろう。
何の感情にここまで心動かされて自ら居場所を捨て去ってまでここに来てしまったのだろう。
ここで拒否されれば、
いよいよ居場所などなくなる。
少女はじりじりと焦がれる胸に疑問を抱いたまま、『新撰組屯所』と書かれた門に思い切って足を踏み出した。
「ん?お嬢さん、こんなところに何か用かい?」
一人の門番に引き止められ、その男を真っ直ぐに見上げる。
「…雇ってもらいたいんです」
案の定、門番は目を丸くして、少女を舐めるように見た。
こんな小娘が?と言うような門番の目は、少女には不釣り合いな刀に気づいて止まる。
「その刀は…?」
「あ、えっとこれは兄の形見で…!うちのじゃありません」
しどろもどろにぶんぶんと手を交差させても、門番はしっくりこないという風にふーんと言っただけだった。
「ここで女中として雇って欲しいんです」
「女中…ねえ。悪いけど今は足りてるんだよ。他あたってくれないか」
箸にも棒にもかからないといった様子で一蹴された少女は、使うまいと思っていた奥の手をついに使ってしまった。
「…土方副長に伝えて下さい。草野麟(りん)、鴉が来たと」
そう言えばわかります、と付け足した麟に、門番は顔を青くした。
「ふ、副長の知り合い…!?」
その後の門番の対応の丁寧さに麟は改めてあの鬼と呼ばれる副長が隊士達にどれだけ恐れられているのかを知った。
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