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規則正しい寝息の音に、思わず嘆息する。
「やだなーもう。病気のコにこんなこと言うの」
濡羽色の髪を掻き上げて、意味もなくぼやく。
蒼白い月光が差し込み、目の前の女の顔が余計に死人のように見えた。
寝息が聞こえなければ、本当に見間違えるほどに。
「本当嫌だなー…だけど、やらないと俺が怒られるし…」
やることは分かっているのに何だか踏ん切りがつかず、女の顔を眺めていた。
女が寝返りをうとうとして、眉間に皺が寄る。
ぱたんと右手が小机に伸ばされ、ペットボトルを掴んだ。
随分と無意識ながら手慣れている動作だ。
「…腹痛いー…頭痛いー…関節痛いー…」
何とも間抜けな病状の訴え方だ。
どこもかしこも痛い病気らしい。
人間の病気はよく知らないし、俺達は風邪なんてひかないから分からないが、何だか更に気の毒でしょうがない。
女は寝ぼけ眼でがばりと起き上がると、ペットボトルの水を一気に呷る。
豪快な飲み方だなと思っていたら案の定、噎せていた。
ナースコールに手を伸ばしかけて、ひょいと引っ込める。
「毎晩押したくないな…確かに放っておいたら危ないけどさ…」
独り言が大分多い女だ。
症状も毎晩恒例らしい日常の一端も俺が分かるくらいべらべら喋っている。
おもむろに首をめぐらせて、焦点の合わない目がこちらを向いた。
「…誰か、いるの?」
思わず口笛を吹きたくなった。
これだけ勘が鋭いのに、惜しい人材だ。
この歳で…本当にもったいない。
「一応気配は消していたつもりだったんですけどね。やはり、五感の一部が欠けると他の感覚が鋭くなるといいますし」
「誰!」
立ち上がりざま女の手が枕を引っ掴み、病人とは思えないほどの早業でそれを投げつけてきた。
「っとと…!俺だよ俺!」
避けながら自己主張をしてみたら、次は空のペットボトルが飛んでくる。
「おーのーれー!人が目見えてないのをいいことに俺々詐欺しようなんて百年早いっ!」
右頬で軽く笑う。
意外に俺の好みかもしれない。
「へえ…結構洒落きいてるコじゃん。道理であいつが気にかけてるわけだ」
この仕事を異常なまでに拒んだ同朋がちらりと脳裏をよぎる。
ふと目に入った小机の隅にある写真立てを見て納得した。
どうも女は目が見えていないらしいが、それでも置いてある、それ。
それなりに思い出のあるものなのだろう。
そのうつっている姿は、あどけない面差しながらも『誰か』は分かる。
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