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本当の名は知らない。
だから彼も知らないと思っていた。
「鈴蘭」一ここでは彼はそう呼ばれている。
本名を名乗る必要はなく、むしろ名乗れないとも言える。
一それが“花街”。
「…あんたは…それでいいのかよ?」
「…『役目』ですから」
「役目…、」
「私は、この世界の人間ですから」
「俺も…そうだろ…?」
「あなたは…まだ戻れます」
「…“紫陽花”、」
自らの“花”としての名をかれは口にする。
「…その名を、」
言いながら彼は、幼さの残るかれの頬に触れた。
「受け入れ、その名で呼ばれ、…そのうちに、この世界の人間に成る」
「その覚悟はしてきた…つもりだった」
「一夏芽、」
ああ、まただ。この人に呼ばれる自分の名前…何かひどく甘やかに、胸に響く。
「…あんたの、名前…」
「“鈴蘭”、ですよ」
「ほんとの…っ、」
肩を一彼の方が頭ひとつ分は背が高いので実際に掴んでいたのは腕だったが一無意識に掴んでしまっている事に気づき、かれは少し気まずい表情になる。
「……シャ、」
「え…、」
「レイシャです」
「…レイシャ…、」
「その名は…ここに居る限り呼ばれない。私は“鈴蘭”です。あなたが“紫陽花”であるように」
「…レイシャ…」
目を合わせずかれは呟く。
「…って、呼んでもいい…?」
「一夏芽、」
「あんたはそうやって俺のこと、名前で…」
目が合う。
彼は微かな、苦笑とも驚きともとれる吐息をつく。
「ほんとの名で…呼んでくれる…」
「一もう行きます、」
「レイシャ!」
一度背を向けた彼はかれの声に振り向き、丁度先程と同じ状態になる。
「…そんなに真直ぐに私を呼んだのは…、君だけです」
「……レイシャ!」
「また、そんな顔…、今生の別れじゃないんだから」
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