娘と水車小屋

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渡世人が口を開く 「面倒だ、覚えちゃいねえ」 咲は面食らい聞き返した。 「覚えていないって、なんにもですか」 「ああ、流れて十五年だ、見聞きしたことは面倒だからすぐ忘れちまう」 「……おじいちゃんから聞いた通りだ。親分さんの口癖なんですね、面倒だ、っていうのは」 「なにもかも面倒なんだ生きる事さえも……」 渡世人は破れた屋根の隙間から見える月を見上げ溜め息まじりに呟く。 「生きる事も面倒……じゃあ親分さんは……死にたいと思う事があるんですか」 「ああ、いつも思っている。だが自分で死のうとは思わねえ、面倒だからだ。 首をくくるにゃ縄を探して木にかけ、輪にして首を吊らなきゃならねえ。面倒だ。 崖から飛びおりて死ぬのも崖まで行かなきゃならねえ。また死ねりゃあいいが死に損なうと後が面倒だ。 河にはまるにゃ浮かねえように石を抱かなきゃならねえ。探すのが面倒だ。 それに………………たった一つだけまだ死ねねえ理由がある……」
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