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前任者であるマーニャはここでその仕事を三年務めた。三年務めて、力不足を理由にその仕事を降ろされた。
クラムトにではない。国の重鎮連中だ。世話役の任命はルドナ政府が行っている。
「だって、こればっかりは仕方ないわ」
マーニャは明るくそう口にした。そして新しくこの任に就くラナに、いろいろ細かく教えてくれた。
用具のしまわれている場所。冷たい水の汲み方。古いパン焼き機の使い方。どの窓の立て付けが悪くて、どの床に補修が必要か。
「あなた、本って好き?」
建物の見取り図を書いてくれている時だ。ふいに訊ねたマーニャは含み笑いをした。一階、入口の右手を大きく区切り、書庫を書き込みながら。
彼女の見取り図は少々正確性に欠けることを、ラナは後に知ることになる。
一階に書き込まれたそれは二階までの吹き抜けであるにも関わらず、二階にはそのスペースが書き込まれなかった。
「文字は読めないんです」
すまなそうなラナを、そうよねぇ、仕方ないわよとマーニャは慰めた。
「異国の人だものね。言葉が通じるだけでもすごいわ」
見取り図の一階に食堂と調理場、階段を書き込む。
「そんなあなたにこの仕事を任せるのは心苦しいけど、大丈夫よ。月読みは本を伴侶に定めているに違いないんだから」
行ってみればわかるわとマーニャは笑った。悲壮感のない、屈託のない笑みだ。
そのマーニャの口癖が仕方ないだった。あれはクラムトと共同生活をするうちに培われたものだったのだろうか。
食器を片付けながら考える。クラムトは明らかにコミュニケーション不足だ。多分、人と関わりたくないのだろう。
たった一人の同居人にそう扱われるのは、マーニャのように明るく華やかな女性には耐えがたかったに違いない。
彼女はこの任を解かれて喜んだのかもしれない。
しかし、クラムトはなぜあんなふうに人を遠ざけるような態度を取るのだろう。ずっと山の上に生活してきて、人との関わり方を忘れてしまったのだろうか。
相手を少し思いやるとか、話してお互い理解するとか、すれば良いのに。
考えるうちに、ラナはだんだんと憂鬱になっていった。
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