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周囲はラルク派で固まる中、結構孤立する形で私はGLAYのファンになりました。
ただ、当時山梨県に住んでいた私にとっては、ライブに行くなんて夢のまた夢。
雑誌を読み漁り、ライブビデオを観ながら指をくわえて「社会人になったら、行きたいライブには行けるようになる!」と、ひたすら高校卒業が待ち遠しい毎日を過ごしていました。
そうして待ち侘びた高校卒業、私は東京の会社に就職いたしました。
老舗の日本茶の会社、職場は百貨店。販売業です。休みに土日祝日なんて関係ありません。
希望した日に休みを取れます。
私のバンギャ生活の始まりは、随分とバンギャに優しい環境で幕開けいたしました。
休みイコールライブの生活です。行ける限りGLAYのライブに行きました。
そうして、とある深夜番組でインディーズバンドが人気を集め始めると、メジャーバンドに拘らずGLAYだけでは物足りず、小さなライブハウスにまで行くようになりました。
この辺りになると、ライブは欠かせないイベントの日になり、休みを確保する為には店長の理解が必要になってきて、自然と周囲の先輩方の見方も「この子はライブの為に働いている」と言う認識になっていました。
勿論、職場が渋谷で「橋」の近くだった事もその原因の1つになっています。
ライブで知り合いになった子が土日祝日は「橋」に集まっていたのです。
そう、原宿の神宮橋。
バンギャの聖地とも言えるかも知れません。
橋に集まったコスプレ娘さん達から見たら、社会人の私は所謂「御姉様」です。
土日は仕事だから、橋の集会には行けないの、と説明したら、集会ついでに私の売り場へと顔を出すようになったのです。
黄色やピンクや青い頭をツンツンに逆立てて、派手派手衣装で百貨店の売り場に来る仲間達は、職場ではかなり目立つ存在でした。
でもね、あの時代のバンギャにはきちんと「マナー精神」がありましたから、営業妨害になるような事は無かったんですよ。
同僚からも、先輩方からも、お客様からもその事でクレームが来た事はありませんでした。
「怖い格好とは違って、お行儀がいいしいい子達なのね」
当時の店長の感想です。
果たして、今のバンギャ達が売り場に来たらどうなるのでしょうね?
バンギャのマナーは、悲しい事に年々悪くなっているように思います。
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