01. 彼女の不機嫌

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ある日のこと。 彼女は朝から不機嫌だった。 その理由は、俺もまだ知らない。  ○ 彼女の不機嫌 ○ カーテンの隙間から入ってきた眩しい光で目が覚めた。 まだ眠い目をこすりながら、ゆっくりと体を起こす。 昨夜は、大学時代の友人たちと遅くまで飲み明かした。 連日の仕事の疲れからだろうか。 普段なら酒に弱くはないのだが、昨日は珍しく酔いが回るのが早かった。 「痛ぇ……」 頭を押さえながら、思わず呟く。 その声は自分でも驚くほどに掠れていた。 頭が痛いし、喉はカラカラだ。 ダルい体でゆっくり立ち上がると、寝室を後にした。 手すりに掴まりながら、少しふらつく足で階段を下りてキッチンへと向かう。 冷蔵庫を開けてペットボトルの水をコップに注ぐとそれをすぐに飲み干した。 冷えた水が渇いた喉を潤す。 しかし、二日酔いによる喉の渇きはコップ一杯では足りず。 もう一度コップへ注いで飲み干すとペットボトルを冷蔵庫の中へと戻した。 二日酔いなんて、あまり経験した事がない。 つーか、これが初めてかもしれない。 ガンガンする頭の痛みに耐えつつ、リビングへと向かう。 リビングの扉を開くと、大きな窓から入る眩しい日差しに目を細める。 リビングのソファーには、朝から見当たらなかった愛する妻の姿があった。 俺がリビングの扉を開いても、見向きもしない妻の奈々。 俺と奈々は、夫婦である以前に乳児期からの幼なじみだった。 彼女とは、長い長い付き合いだ。 その態度から、彼女が『今、すっごく怒ってるんだからっ!』っと言っていることはすぐに理解できた。 ただ、こうなった原因まではわからない。 「おはよ、奈々」 リビングのドアにもたれかかったまま、声をかけてみる。 俺の声、マジで掠れてるな。 俺の掠れた声を聞いて、一瞬動揺していたのが見えた。 怒ってるのに、心配してくれたらしい。 「…………」 奈々からの返答は無い。 俺の存在はまるで無視、のつもりのようだ。 あんま無視できてねぇけどな。 さてと、考えねぇとな。 奈々がこんな態度をとる時は、決まって俺の行動に何か問題がある。 昨夜の行動を振り返ってみるか。 昨日は仕事が終わってから大学時代の同級生と合流して居酒屋へ行った。 結構遅くまで飲み、帰宅したのは夜中の3時過ぎだった。 そんな時間まで俺の帰宅を待ってくれていた妻の奈々。 玄関まで出迎えてくれた奈々は「おかえり、慶一」っと言って可愛い笑顔を見せてくれた。 ………っと、そこまでの行動では彼女の機嫌を損ねるような事はしてないと思う。 いや。 普通に考えたらそんな時間に帰ってくるとか、奥さんに怒られる案件だとは思うんだけどな。 奈々の場合は俺の帰りが遅い心配はしても、これで怒るようなことはない。 だから、この立場が逆の場合も我慢して怒らないようにしている。 奈々が外に出ることすらも心配で仕方ない俺は、夜間の外出なんて本当は許したくない。 でも、俺が許されてるのにそれは無いよな、っとグッと我慢だ。 今は。 かわりに、他の男に奪われたりしないように対策は徹底させてもらうが。 さて。 ここまでの行動に問題が無いのであれば、その後の行動か? その後は……… ーーーーーーーーーーーん? 覚えてねぇ…… どれだけ考えても記憶がそこでブツっと途切れている。 俺、もしかして玄関で寝たんじゃ………? 遠のく意識の中、奈々に何度も名前を呼ばれたような気がする。 自分で寝室まで行った覚えがあるような、無いような。 しかし、朝起きたら俺は寝室で寝ていた……。 俺の心配をして何時だろうと待っててくれる俺の可愛い奥さん。 心配で起きててくれてたのに、玄関で寝るだなんて。 また心配させたよな。 うん。 さすがに怒るよな。 未だに無視を決めているつもりの彼女は、ついてもいないテレビを見つめている。 そこはせめてつけておけよ。 さっきからチラチラと俺の方を見てるのはわかってんだよ。 全然、俺のこと無視できてねぇし。 そんな可愛い背中を見て、つい笑いそうになるけど我慢だ。 無言でソファーに近づくと、奈々の隣に座る。 一瞬。 ビクリと震える、その小さな肩。 「奈々…ごめんな。俺、昨日はあのまま玄関で寝たよな?」 「…………うん」 今日。 初めて聞く、可愛い妻の声。 「奈々が寝室まで連れて行ってくれたのか?」 そう言ってから、気が付く。 小柄な奈々が、二階の寝室まで俺を連れて行くには無理がある。 「ううん」 そう言いながら、首を横に振る奈々。 奈々の答えは予想通りのものだった。 しかし、そうなると。 どうして俺は寝室で寝てたのか。 「でも俺、寝室で寝てたけど。どうやって行ったんだ?」 俺の問いかけに、どんどん赤面していく奈々。 ん? なんだ? 「……何回も起こしたけど、起きなかったの。でも急に目を覚ましたかと思ったら…いきなり奈々のこと抱き上げて、二階に…」 ああ…そういうことね。 酔いが回ったのと、睡眠不足で眠いのとが重なって俺は玄関で寝た。 けれど、俺は基本的には奈々がいないと熟睡はできない。 目が覚めたのは、そのせいだろう。 それまで寝ないでそばにいてくれたのか。 少しうとうとしているその小さな身体を抱き寄せる。 「心配してくれてありがと。ごめんな、あんなに遅くまで。もう少し、一緒に寝ようぜ」 奈々を抱きしめたまま、無駄に広いソファーにごろんと寝転んだ。 三人がけソファーの背もたれと、俺の身体の間に愛しい彼女を閉じこめる。 すぐに瞼が落ちてきて、愛するその瞳が閉ざされていく。 手の届く範囲に置いてあったブランケットを広げ、奈々の身体にそっとかけた。 この温もりが、俺の腕の中にある時が一番幸せだ。 あ… やべぇ 俺の瞼も、重くなってきた……。 「おやすみ、奈々」 ********** 「慶一、玄関に入ってすぐに寝ちゃうんだもん…」 少し遅い朝食を食べ終わり、一緒に食器を片付けながら彼を睨む。 「悪かったって思ってるよ。なあ、そろそろ機嫌直せよー」 「……別にそれは怒ってないよ。ただ、心配しただけだもん」 やっぱり。 覚えてないよね。 あんなに酔ってたんだし。 それに、ここのところずっとお仕事が忙しくて睡眠不足だったみたいだし。 「え?それで怒ってたんじゃねぇの?」 キョトンとした顔をする慶一を見て、やっぱり覚えてないよねっと下を向く。 結婚してから、ずっとしてくれた日課だったのにな。 おやすみのキスをしてくれなくて、寂しくて怒ったなんて言ったら、慶一の方が怒っちゃうかな…? 面倒な女だなって、思われちゃうかな……? 「……ううん」 そんなことで怒らないよ。 立場が逆だったとして、慶一だって怒らないでしょう? 奈々が飲みすぎて帰ってきて、玄関で寝ちゃったとしても心配するだけでしょう? ……いや、そんな事になるのが外だったら危ないだろ!って怒られそうな気もするけど…。 それについては今はいいとして。 「へ……?」 慶一にとって、奈々の答えは予想に反するものだったのかな。 本当にわからないって顔してるね。 そっか。 もういいかな… しばらく考え込んでいた慶一が、ハッとして顔を上げた。 「奈々。」 優しい口調で名前を呼ばれ、彼の方を向く。 「え………?」 その瞬間、大好きな旦那様にキスをされた。 突然のことに驚いて思わず抵抗してしまう。 けれど、そんな抵抗を無視して強く抱きしめられて口付けられる。 ……何も言わなかったのに。 どうして、いつも気がついてくれるの…? 寂しさと嬉しさが入り混じって、感情がぐちゃぐちゃになってる気がしてくる。 でも、やっぱり。 嬉しいな。 大好きなその背中に腕を回して、ぎゅっと彼にくつっつく。 「奈々からしてくれても良かったのに」 そう言いながら、悪戯好きな少年みたいに慶一が微笑む。 確かに。 そうなんだけれど……。 「だって…恥ずかしかったんだもん…」 彼の胸に顔を埋めて小さな声で呟く。 「いくつになっても、変わんねーな」 奈々の頭を撫でながら慶一が言う。 でも。 昨日は恥ずかしくて出来なかったけれど…。 今日は。 今日だけは。 特別な日だからーーーー ********** 突然。 俺の唇に、柔らかいものが触れた。 二度目の睡眠のおかげなのか、今の俺はほぼ完全復活だ。 それなのに、頭がうまく回らない。 いや。 だって…… 気がつくと、愛する妻の顔が目の前にあった。 ……………え? 俺、奈々にキスされた? 初めてのことに、理解するまで時間がかかった。 今まで俺からしか、それをしたことがなかったのに…。 「……………ばかぁ…」 恥ずかしさからか。それだけを言うと、奈々は顔を背けてしまった。 こっちを見ていなくてもわかる。 奈々の顔は、きっと耳まで真っ赤だ。 …………俺もだが。 妻からのキスで、こんなんになるなんて…… 俺ら、いくつなんだよ…。 一人、心の中でツッコミながら自分の口元を隠す。 こんなダサい顔を、好きな女に見られるわけにはいかない。 「今日は…………特別だから」 顔を真っ赤にした奈々が、俺を見上げて言う。 うん。 この角度で見上げられるの、すげぇ好きだな。 マジで可愛い。 あ、で? なんだっけ? 特別? 「へ………?」 特別?何が? わけがわからない。 今日は特別……………? 特別だから、奈々からのキス? 全くわけがわかっていない俺を見て、奈々が小さく笑った。 「忙しくて、忘れてたんでしょう?慶一、お誕生日おめでとう」 眩しいくらいの笑顔で奈々が言う。 「あー……特別……」 なるほど。 そうか。今日は俺の誕生日だったのか。 頭の片隅にも無かったな。 完全に忘れてた。 そうか、だから特別なのか。 彼女の笑顔につられて、俺も笑みを浮かべる。 「誕生日プレゼント、何か欲しいものあるかな?」 首をかしげて俺に問いかける奈々。 奈々は毎年、俺の誕生日に欲しいものを聞いてくれる。 基本的には欲しいものなんて奈々以外には無かったから、欲しいものがあると言ったことがあるのは過去二回だ。 一度目は交際を申し込んだ時。 そして、二度目は結婚を申し込んだ時だ。 今年は……そうだなぁ………… 「子どもが欲しい」 そう言うと、奈々を見つめる。 「え?」 俺の言葉に、目を真ん丸にして驚く奈々。 「俺と奈々の、子どもが欲しい」 そう言いながら彼女の頬に触れる。 その顔は、またたく間に真っ赤になっていく。彼女に触れている手が熱い。 困惑してるかな。 でも、嬉しそうだな。 子どもが欲しいと思っているのは、俺だけではないはずだ。 以前から二人で出かけるたびに、奈々は小さな子どもを見て微笑んでいた。 もともと彼女は子どもが好きで、結婚前は保育の仕事をしていた。 俺も子どもは欲しいなっと考えていた。 もしも、奈々も欲しいと思ってくれているのなら……俺も。 「奈々は、欲しいか…?」 奈々を見つめて問いかける。 もちろん。無理にとは言わないし、もう少し先がいいというのならそうするつもりだ。 欲しくないのなら、俺はそれでももちろんいい。 奈々と一緒に居られれば、それでいい。 「奈々も、いつか欲しいって思ってたよ」 そう言うと恥ずかしそうに笑う奈々。 「そっか。じゃあ、寝室行こうか。」 奈々の手を取って笑う。 許可は得た。 あとは実行だ。 「え?え?でっ、でも…まだ昼間だよ?」 俺のこの返しは予想もしていなかったのだろう。 恥ずかしさから後ずさりする奈々。 その華奢な両肩をしっかりと掴む。 結婚しても、そういった行為には全く慣れてくれない彼女。 それが奈々らしくて、もっと彼女を好きになるのだけれど。 「優しくするから、おいで奈々」 俺に捕まって逃げ道がない奈々は、抵抗することなく俺に手を引かれる。 そのまま俺たちは寝室へと足を踏み入れた。 それからしばらくして。 俺にとって最高の誕生日プレゼントが彼女のお腹に宿るのは、まだもう少し先の話だ。 彼女の不機嫌 END
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