芹沢鴨

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一八六七(慶応三)年十一月十八日、高台寺塔頭の月真院に設けられていた禁裏御陵衛士屯所に、その頭であり、かつては新選組参謀であった伊東甲子太郎の死が報らされた。 衛士の一人である藤堂平助もその場で聞いた。 高台寺党の屯所は現在の京都市東山区に在り、今では京都の観光名所の一つで、特に秋の紅葉の頃にはライトアップされて大いに賑わっている。 向かいには圓得院があり、その間を『ねねの道』と呼ぶ。露天が軒を連ね、人力車が観光客を乗せて走っているが、今も立つ石碑に目を留める人は少ない。 ねねの道、二年坂を抜け産寧坂を一党七人は駆けた。この半数は左手に広がる清水を二度と見ることができなかった。 月はその姿を隠している。 駆けながら藤堂。 何故このような事に、とは思わない。解りきっていた。 藤堂と同じく衛士の一人となった新選組の元幹部で三番隊組長であった斎藤一が一週間前に行方を眩まし、それに続いて伊東が新選組局長近藤勇から酒宴に招かれたことで、はっきりと確信に変わった。 「先生、あまりに不用心が過ぎます」 「心配しすぎだ、藤堂君。 近藤さんとて今の私には手を出せまい。大方、先日の坂本、中岡両先生の件だろう」 そう言って、繰り返し何度も引き止めたが、伊東は逝ってしまった。 藤堂には今回の酒宴が何を意味するのか、手に取るように理解できた。 自分もそうしてきたのだ。 「鴨の時もそうさ」
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