北越戦線(新井での戦闘)

5/6
前へ
/316ページ
次へ
この新井での西軍敗戦の報は、新井に向かっていた松代藩兵にも届いた。 河原左京「何故じゃ?我が真田家が着陣して居らんのに、何故東軍に攻め入るのだ?」 松代藩兵「御家老様、上田藩や松本藩の兵がこちらに逃げ帰って来るように御座います。 我々は如何致しましょう?」 河原「仕方あるまい三藩の軍は兵糧も弾薬も置いて逃げ帰って来たのであろう。我が藩軍も一度後退して、後方の味方と合流して軍を立て直さねばならんだろう。 後方いる薩摩の吉井殿に使者を出して、事の子細を報告致そう。 では我が藩軍も後退いたす!」 松代藩兵も信濃へ帰って行く。 後方には、松代藩の残り八百や諏訪藩、田野口藩、須坂藩などの小藩の兵を集めて、次に備えていた薩摩の吉井がいた。 松代藩の家老河原はその軍勢と合流すれば、反転攻勢をかけれるとの思いがあった。 西軍が武器弾薬や食糧を多数残したまま新井から撤退し、東軍はそれを奪い陣地構築にかかった。 ※史実では信濃の各藩は、薩長の新政府軍の到来で新政府側に参加した藩が殆どであったため、北越戦や会津戦に駆り出されています。
/316ページ

最初のコメントを投稿しよう!

417人が本棚に入れています
本棚に追加