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理緒が食事を作る音だけが、キッチンから響いてくる。二人の間に言葉はない。
ニンニクを炒める香ばしい匂いが、圭の鼻をつく。
今までの経験から言って、恐らく今日の夕食はペペロンチーノだ。不機嫌な時の理緒は、手の掛かる料理を決して作らない。
十分ほどで、理緒がキッチンから出てきた。その表情は、いつもの笑顔とはほど遠い。
作り笑顔を向けてみたが、一瞥されただけで終わった。笑い損だ。
理緒が両手に持った皿を、テーブルの上に荒々しく置く。その音が部屋中に響いた。
「さっさと食べてね。片付けたら帰るから」
「はい」
思わず敬語で言っていた。いや、言わされていたのかもしれない。
食事は無言のまま進んでいった。皿とフォークの立てる音があまりに冷たい。
「なあ、理緒」
「は?」
眉間にしわを寄せながら、理緒が答えた。
「いや、いい」
完全に気迫で負けている。
「何なの。はっきりしなさいよ」
「うん」
「うん、じゃないわよ。言いたい事があれば言えばいいじゃない」
不機嫌な理緒に触れてしまった事を後悔した。最早逃げられない。
意を決して、圭は口を開いた。
「なんで怒ってるんだ?」
「別に怒ってなんかない」
いや、完全に怒っている。
「そう言えば令子ちゃんは元気かな」
とにかく話題を変えようと試みる。
「令子はバイト頑張ってるよ。生活費も学費も自分で稼ぐんだって」
「良い事じゃないか」
少し話題を変える事に成功した。そのまま言葉を続けようとするのを、理緒が遮る。
「ええ。誰かさんと違ってね」
話題は変わってなどいなかったようだ。何も言えずに、フォークを動かした。
また沈黙が二人の間を支配する。
「あたしが言いたいのは」
食事が終わる頃に、理緒が口を開いた。
「働けって事よ。圭さん、お金には困ってないかもしれない。だけど仕事はするべきだわ」
「俺は……」
「最後まで聞きなさい」
「はい」
反論の隙すら与えられない。
「令子の事件以来、圭さんおかしいわよ。毎日ぼーっとして、外にも殆ど出ない」
外へ出るのは煙草を買う時くらいだ。食事は理緒が用意してくれる。
「元々望月さんが持ってくる仕事以外はそんなにやってなかったけど、今はちょっと酷すぎるわ」
令子の一件、いや、Kとの一件以来、仕事は一つもやっていない。
何故か、仕事をやろうという気力が起きない。その理由も、なんとなくわかってはいた。
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