喪失

6/8
前へ
/240ページ
次へ
指定席に腰を下ろした。真紀子がソファーから立ち上がったまま、こちらを見ている。 「どうぞ、お掛けになって下さい」 「はい。失礼します」 上品な動きで、真紀子がソファーに座る。 「粗茶ですが」 理緒がキッチンから緑茶とアイスティーを運んできた。 アイスティーを圭の前に置きながら、目で何かを伝えてくる。 必ず依頼を受けろ。そう言っているのだろう。 真紀子が俯いたまま、話を始めようとしない。仕方なく、圭から切り出した。 「それで、今日はどういったご用件でこちらに?」 真紀子が顔を上げ、小さなため息をつく。 「あの、夫の事なのですが」 それだけ呟くように、真紀子が言った。今にも消え入りそうな声。 「遠慮なさらずに。大丈夫です。依頼人の秘密は守ります。それとも、この助手が邪魔ですか?」 「いえ、大丈夫です。少し、落ち着かせて下さい」 そう言ったっきり、真紀子は再び俯いた。顔を上げようとしない。 理緒は寝室に入っていった。いない方がいいと思ったのだろう。 一分ほど、空白の時間が流れる。アイスティーを飲みながら、真紀子が話を始めるのを待った。 真紀子が顔を上げる。改めて顔を見ると、疲労の色が濃い気がする。 「夫の事なのですが、週に三回から四回、帰ってくるのが遅いのです。朝方や、場合によっては帰ってこない日もあります」 どうやら浮気調査らしい。 「それだけならまだしも、今まで地道に貯めてきたお金を勝手に引き出して、派手に使っています」 おまけに貢いでいるようだ。どこの魔性の女に引っかかったのか。 「なるほど、ご主人がどこに行っているか、何にお金を使っているのか、調べて欲しいと」 「はい。多分、浮気だと思うのです。スーツに香水の匂いがついていたりしますから」 言われなくても、浮気だと想像つく。他の可能性も無い訳ではないが。 「ご主人のお仕事は?」 「製薬会社に勤めています」 真紀子が、会社名を口にした。誰もが知る、有名な製薬会社だ。 「ご主人のお名前は? 後は、写真などはありますか」 「夫の名前は慎治といいます。写真は、これです」 真紀子がバッグから一枚の写真を取り出した。旅行か何かの時の写真のようだ。 海を背景に、真紀子と夫らしき人物が満面の笑みで写っていた。 写真の真紀子は、今目の前にいる真紀子と違い、明るく、楽しそうに見えた。
/240ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1360人が本棚に入れています
本棚に追加