序章 決闘高田馬場

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鉄砲洲・赤穂藩上屋敷。 的の中心に矢が吸い込まれる。 ゆっくりと弦を絞り、胸を張って矢を放ち、鍛錬が続く。 藩主・浅野内匠頭長矩は、諸肌を脱いで汗を流し、弓術の稽古に打ち込んでいた。 「そうか。連れて参ったか」 騒動から、数日後。その勢いに押されて根負けし、遂に月代を剃った安兵衛は、身を清めて裃を着用し、この日、彌兵衛と同伴して、内匠頭と運命的対面の瞬間を迎えようとしていた。 武士道を尊ぶ内匠頭自身も、高田馬場の噂を知った途端、安兵衛に対して興味津々で、まさに待望の対面だった。 それを彌兵衛から聞かされた安兵衛は、ますます困惑し、萎縮するばかりだったが、遂に決意を固め、招聘に応じた。 「苦しゅうない。面を上げよ」 颯爽と現れた内匠頭の声が頭上で響き、彌兵衛と共に平伏していた安兵衛は、ゆっくりと顔を上げ、内匠頭を一瞥(いちべつ)した。微かに顔が見えた。 端正で、凛々しい顔立ちだ。 「高田馬場の喧嘩安兵衛とな」 背筋を伸ばして正座し、内匠頭は安兵衛を凝視する。 <太い眉。精悍な顔立ちだな> 安兵衛に対する、内匠頭の第一印象だった。「この男ならば」と、即座に直感した。 「話は色々と聞いておる。堀内道場とやらで、群を抜いて他を圧倒し、四天王とまで呼ばれた程の腕前らしいの」 興味津々に質問する内匠頭に対し、冷汗を流しながら、安兵衛は萎縮するが、丁重に答える。 「恐れ入りまする。何分、生来の粗忽者にござりますれば、剣の他に取り得がござりませぬ」 彌兵衛が自分の事を、何処まで話したか解らないが、一つ一つの質問に対し、出来る限り丁寧に答えるのみ。緊張感の中で、安兵衛は決意した。 「そう、固くならずとも良い。酒を取らそう。誰か、ある」 手を叩いて内匠頭が合図した途端、朱塗りの大杯が運ばれた。みるみる内に酒が注ぎ込まれ、安兵衛は深呼吸した。 「慎んで、頂戴仕りまする」 喉を鳴らしながら、豪快に飲み干した。内匠頭も、彌兵衛も、目を丸くしている。 「何と見事な飲みっぷりじゃ」 思わず内匠頭は拍手した。大杯を返上し、安兵衛は平伏する。 「のう、中山安兵衛。俺の本心を率直に申す。剣の腕に秀で、機転に長け、俺の力になってくれる、頼もしく真っ直ぐな男が欲しかったのだ。この内匠頭。其方を召し抱えたい。如何か」 内匠頭の熱意に圧倒されつつ、安兵衛は冷静さを保ち、神妙に申し出る。
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