序章 決闘高田馬場

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播州赤穂五万石。 内匠頭が藩主として統治し、全国屈指の塩田開発で名を知られた、風光明媚な土地である。 海を眺め、穏やかな潮騒を聴きながら、流木に腰を下ろし、のんびり磯釣りをする侍がいる。 男の名は、大石内蔵助良雄。 浅野家主席家老を歴任する大石家に生まれ、軍学者・山鹿素行直伝の兵法を極め、剣は東軍流免許皆伝の腕前である。 <ほんに、厳しい師だったな> たまに、内蔵助は素行の事を思い出す。うたた寝する度に怒鳴られて、よく叱られた。 武士道の心構えから、戦術に至るまで、今では兵法を諳(そら)んず程になったが、あの頃は誰よりも素行が怖くて、恐怖心で叩き込まれた様なものだった。 「所詮、泰平の世では無用の長物だ。しかし、常に我が教えを心掛け、肝に銘じておく様に」 それが山鹿素行の口癖だった。 浅野家の招聘に応じて、賓客として迎えられた素行は、とにかく偏屈で気難しい男だったが、内蔵助は素行に感謝している。 無言で釣り糸を垂らしたまま、海面を見つめている。 起床の後、手短に洗顔し、煙管(きせる)を取り、屋敷の裏口から磯釣りに出向き、何かしら考え事をする。登城前の内蔵助にとって、毎朝の日課だった。 糸を引き上げ、帰路に就こうとした矢先、嫡男の松之丞が汗を散らし、走り寄って来た。 「父上。母上が、お呼びです。朝餉のお支度が出来ました」 膝に手を置き、息を切らせて俯(うつむ)く松之丞に、内蔵助は苦笑し、竹筒を差し出す。 「いつも、すまんな。松之丞」 内蔵助から竹筒を受け取り、松之丞は水をがぶ飲みする。自分と言うより、松之丞の為に用意している様なものだった。 「さて、母上の熱い味噌汁が待っておるな。では、参ろうぞ」 内蔵助と松之丞は、互いに肩を並べて、砂浜を歩く。松之丞が「今日は釣れましたか」と尋ねれば、内蔵助が「駄目だった」と答える。二人揃って、そんな毎朝の日課を好んでいた。 「そう言えば、父上。高田馬場の喧嘩安兵衛を御存知ですか」 松之丞が内蔵助に尋ねてみる。 「知らんな。誰だ。そいつは」 内蔵助が松之丞に問い掛ける。
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