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その夜、安兵衛は泣き崩れた。
決闘直前の叔父が留守中に訪問していた事を知り、いくら悔やんでも、悔やみ切れなかった。
それこそ童の如く泣きじゃくっては、ひたすら声を上げて嗚咽し、酒と涙で顔が歪もうとも、間断なく号泣する有様だった。
「叔父上、お許し下され」
かくして猛虎は仔猫の如く弱り果て、喪中と称しては、自棄酒に溺れて、酔い潰れていた。
「俺は何という不孝者だ」
未熟な自分を叱咤激励し、数少ない理解者だった六郎左衛門の死は、安兵衛にとって、予想以上に大きな衝撃だった。
だが、何時までも泣き寝入りする性分ではない事は、誰よりも安兵衛自身が熟知していた。
「再び仕官して、報いねば」
月代(さかやき)を剃る決意を固めたが、肝心の仕官先に当てが無い。深酒も慎むべし。その焦燥感を押し退ける様に、日夜、木刀の素振りに明け暮れる。
「俺は、どう生きたいんだ」
七厘で鰯を焼き、団扇で激しく風を送る。その煙を凝視しながら、前途多難な今後の人生に不安が募る毎日が続いていた。
その数日後。晴れた朝だった。
いつもの様に、長屋の端にある井戸で洗顔する安兵衛の背に、しゃがれた声が響いた。
「中山安兵衛殿でござるな」
振り返ると、白髪頭の侍と、その隣に先日、自分に襷をくれた娘が立っていた。
少し狼狽しながらも、すかさず落ち着きを取り戻し、安兵衛は至って冷静に答えた。
「いかにも。お手前方は」
それに対し、人懐っこい微笑を浮かべながら、いきなり老人は安兵衛の両肩を叩いた。
「いやはや、お探し致しましたぞ。拙者、一日千秋の想いで、お会いしとうござったわ」
上機嫌に高笑いする老人と、少し困惑気味の娘を眺め、呆気に取られた安兵衛は、軽く咳払いして、丁重に返事した。
「誠に御無礼ながら、どなたかは存じませぬが、ここでは何かと人目に付きますゆえ、拙宅にお越し頂けませぬか」
二人を家屋に案内し、安兵衛は白湯を出して、もてなした。
「これは、痛み入り申す」
興味津々といった表情を自分に向ける老人に対し、まさしく不器用な武骨者なりに、安兵衛は丁寧な挨拶を試みた。
「その節は娘御に大変御世話になり申した。お陰様で憎き敵を討ち果たす事が出来申した。今更ながら、改めて御礼申し上たく存ずる」
盆を脇に起き、その意味で本心から感謝を込めて、安兵衛は二人に対し、深々と頭を下げる。
「何の、何の。恐れ入る」
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