序章 決闘高田馬場

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すっかり萎縮しているのか、緊張した面持ちの娘に代わり、気さくな笑顔で老人が答えた。 「ところで、お手前方の御尊名を、まだ、お伺いしておりませぬゆえ、お教え頂けまいか」 至って自然な流れのはずだ。切り出した安兵衛の質問に対し、膝を叩いて老人は高笑いした。 「いや、御無礼仕った。拙者、播州赤穂藩主・浅野内匠頭様が家臣にて、堀部彌兵衛金丸と申す。これなるは、拙者の一人娘にて、ほり、と申す」 安兵衛は思わず唾を飲んだ。 「浅野家の御家中でしたか」 太閤秀吉の親戚筋で、芸州広島の浅野本家を背景に、播州赤穂五万石を領し、天下に名高い塩の生産で知られる外様の雄藩である事は、長屋暮らしの安兵衛でも、十二分に承知していた。 「ほり、にございます」 どことなく少し頬が紅潮している様にも見えた。自らの名を強調したかの様に、それでも恭しく、ほりは父親に紹介されてから、ようやく名乗った。 <可愛らしい娘御だな> 白い素肌、つぶらな瞳、微かな靨(えくぼ)に小さな唇。慎ましさ。恐らく母親似なのかも知れない。嫁入り前の可憐さに、安兵衛は密かな好感を抱いた。 「して、御用の趣を伺いたい」 そうだ。借りた襷を返さねばなるまい。理性を取り戻したかの様に、安兵衛は姿勢を正して、彌兵衛に尋ねた。 「拙者の婿になって下され」 余りに単刀直入な要求に面食らった。「今、何と申された」の言葉が出て来ない。言おうにも言い出せず、唖然とした。 「単刀直入に申し上げる。中山殿。拙者、過日、高田馬場に居合わせ、御貴殿の見事な太刀捌きに惚れ惚れ致した。あれぞ、まさに獅子奮迅の働きぶり。それも、叔父御への助太刀という大義名分に拠るもの。義を重んじ、礼節を尊ぶ御貴殿こそ、まさしく武士の鑑と存ずる」 唾を飛ばしながら、興奮気味に熱弁する彌兵衛に、さしもの安兵衛も圧倒されていた。 <棚牡丹も、良い所だ> 余りに話が上手く出来過ぎている。とても天恵とは信じ難い偶然だ。やはり、少しは警戒した方が良かったのだろうか。
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