第三章 増上寺畳替え

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元禄十四年三月一日。 鉄砲洲・赤穂藩上屋敷。 浅野内匠頭は常時、飲んでいる頓服(とんぷく)を煎じた薬湯を口の中に流し、一息ついた。 その傍らに、内匠頭の正室・阿久里と、侍女頭である浪路が、下座に、小姓頭でもある寵臣の片岡源五右衛門が控えていた。 浅野一門である三次(みよし)浅野家から嫁いで来た阿久里と、内匠頭は仲睦まじい結婚生活を送っており、十八年になる。 「落ち着き遊ばされましたか」 「うむ。そろそろ、出立する」 この日。内匠頭は、江戸城外濠(そとぼり)にある、呉服橋門の中に位置する吉良上野介の屋敷へ挨拶に赴く事になっていた。 「殿が、御出立なされますぞ」 先回りした源五右衛門は、共に内匠頭の護衛として、既に玄関先で伺候していた堀部安兵衛、奥田孫太夫、高田郡兵衛、更に間十次郎の四名に声を掛ける。 奥田孫太夫重盛。 元々は兵右衛門と名乗っていたが、孫太夫と改める。大太刀の遣い手として、堀内道場の【四天王】に列せられた程の腕前を持つ。その後、武具奉行となった孫太夫は、奇しくも、同門だった安兵衛と運命的な再会を果たして以来、行動を共にする。 高田郡兵衛資政。 宝蔵院流高田派槍術の開祖・高田又兵衛の孫とも言われるだけあって、槍の達人だった。十五人扶持の身であり、安兵衛、孫太夫と意気投合し、彼もまた、行動を共にする仲である。 間十次郎光興。 赤穂藩士・間喜兵衛の妾腹ながら、嫡男として誕生した十次郎は、堀内道場の門を叩き、【四天王】として安兵衛や孫太夫と共に並び称された高弟となる。その後、剣術のみならず、槍術も体得し、山鹿流兵法を学び、内匠頭の近習に加えられた。 まさに、赤穂藩が誇る猛者揃いで、錚々たる顔触れだった。 「源五殿。殿の、お出ましだ」 主君を待つ源五右衛門の元に、磯貝十郎左衛門が駆け付けた。 磯貝十郎左衛門正久。 利発な小姓として内匠頭の寵愛を受け、源五右衛門と同じく、その機転から、物頭側用人として重用される寵臣となる。能や太鼓に秀で、芸事を好まない内匠頭に内緒で、琴を愛する。 「待たせたの。では、参るぞ」 かくして内匠頭の行列は、呉服橋門内の吉良邸へと向かった。
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