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「おお、中山殿。御在宅か」
その二日後、彌兵衛が手土産を持参して、再訪問して来た。すっかり安兵衛は狼狽し、とりあえず白湯で、もてなした。
既に夕陽が沈み、いつもの様に七厘で焼いた鰯と、ざっと切った菜漬に、雑炊。丁度、いつもの夕餉を終える頃だった。
毎日の食材は、呑み仲間の魚屋や、八百屋の亭主達が、懇意で少し分けてくれる。喧嘩の仲裁を生業としていた為か、何とか喰うには困らなかった。
「この饅頭は、なかなかに美味でござるぞ。さあさあ。御遠慮のう、お召し上がり下されや」
いつもの様に、前歯の抜けた、人なつこい笑顔を振り撒き、彌兵衛は手土産を差し出す。
「かたじけのうござる」
恭しく一礼し、安兵衛は饅頭を一個、口の中に投じて頬張り、続けて何個か、彌兵衛の前で、旨(うま)そうに食べた。
「餡が程良い甘さでござろう」
どうやら、贔屓(ひいき)にしている馴染みの饅頭屋らしく、彌兵衛は少し自慢気だった。
<諸葛孔明でもあるまいし>
このままだと、三顧の礼になりかねない。粗忽者と自称する安兵衛には、耐えられなかった。
「あの、酒でも呑みませぬか」
思い切って、誘ってみた。互いの胸中を腹蔵なく打ち明けるには、酒で語らうしか無い。
「おお、それは願ってもない」
安兵衛の誘いに、彌兵衛は膝を叩き、嬉々として快諾した。
「御老体。拙者と少し、御足労願えませぬか。近くの一膳めし屋に、うまい地酒があり申す。宜しければ、御案内仕る」
安兵衛は膳を横にずらし、膝を歩み寄って、彌兵衛に告げる。
「承知した。このまま、御同行仕ろう。では、お願い致す」
脇に置いた太刀を腰帯に差し、彌兵衛は安兵衛と肩を並べて長屋を出た時、満月が見えた。
「今宵は、良い月でござるの」
月光の下で、雪駄の音が響く。
「堀部殿、と申されましたな」
ぎこちない空気を打破すべく、勇気を出して、安兵衛の方から思い切って話し掛ける。彌兵衛は「いかにも」と笑顔で頷く。
「今更とは存じますが、何分、一介の素浪人風情が好き好んで飲む程度の、一膳めし屋で振る舞われる地酒にござれば、お口に合いますか、どうか」
彌兵衛は、わざと高らかに大笑し、戸惑う安兵衛の肩を叩く。すっかり彌兵衛に翻弄されて、安兵衛は困惑する。
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