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「御懸念召さるな。酒に良し悪しもござらん。まして、中山殿と酌み交わす酒じゃ。不味い訳がござらん。お気遣い御無用に願いたい。この堀部彌兵衛。喜んで、お付き合い致しますぞ」
余程、嬉しくて堪らないのか、彌兵衛は笑いながら、安兵衛の肩を叩き続ける。不快では無かった。却って、この老人に対する防壁が氷解し、むしろ、好奇心の様な興味が湧いて来た。
<何ともまあ、純真無垢な好々爺(こうこうや)だな。では、とことん付き合うとしよう>
一膳めし屋の暖簾(のれん)をくぐり、向かい合って席に着く。
「おっ、安さん。今日もかい」
酔った大工が、安兵衛に絡む。
「うるせえ。あっち、行けい」
条件反射で平素の口調に戻り、安兵衛は慌てて、寄る蝿を払うかの様に、安兵衛は大工を遠ざける。その様子を見て、彌兵衛は、必死に笑い声を噛み殺す。
「なんでい。飲兵衛安」と、酒臭い吐息と共に捨て台詞を残して、「おい。勘定な」と銭を置き、大工は千鳥足で店を出た。毎度の日常茶飯事だった。
「はいよ。安さん。いつもの」
亭主が冷奴と一緒に、二本の銚子を出す。酒の肴は必ず、冷奴と決めて一杯やる事を、安兵衛は、とても好んでいた。
「堀部殿。大変お待たせして、申し訳ござらん。慎んで、御相伴仕る。さあさあ、一献」
徳利に地酒を交互に注ぎ、安兵衛と彌兵衛は酌み交わす。一気に呑み干して、共に息を吐く。
「うまい。良い地酒じゃの」
さも、わざとらしく大声で、彌兵衛が賞賛した途端、周囲が爆笑した。一瞬、少し恥ずかしくなった安兵衛だったが、「悪気は無い」と理解した上で、更に酒を注ぎ、酌み交わす。
「おう、白魚も出してくれ」
安兵衛が大声で催促すると、亭主が小鉢を運んで来る。彌兵衛も上機嫌で酒が進み、語調も滑らかになって、高田馬場の話題へと移り、いつしか店内は、賑やかに盛り上がっていた。
「その話は、おやめ下され」
すっかり赤面して、照れ臭そうに安兵衛が遠慮気味に躊躇すると、彌兵衛が持て囃(はや)す。亭主も加わって騒ぎ立て、話題の坩堝(るつぼ)に安兵衛は困惑するばかりだった。
「わしは、のう。安兵衛殿」
酔いが回ったのか、砕けた言い方で、自分の名を呼ぶ彌兵衛に対し、安兵衛は精一杯の笑顔を向けて、返事をする。
「如何なされました」
安兵衛が席を立ち、介抱しようと近寄ると、彌兵衛は「いや、いや、いや」と、慌てて両手を突き出し、遠慮する。
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