―狂気―

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同心佐々木真悟は中町奉行所において若輩でありこそすれ、既に一目置かれる存在であった。 建前では一代抱えの同心株を、慣習通り父から譲り受けると、生来の生真面目な性分から精勤に励み、奉行からも気安く声を掛けられるまでになった。 だが、本人どこまでも謙虚な為、それを鼻にかけるでもなく以前と変わらぬ態度で、上司、同輩の信頼も厚く、また岡っ引きら下役からも広く敬愛されていた。 その真悟がこの一件に興味をそそられたのは他でもない、春日家の三男が関係していると聞いたからである。 「遅くなってすまぬな」 番所に入りしな、開口一番そう詫びを口にしながら草鞋を脱ぎ、如才なく鼎に一礼してその隣に着座した真悟は、すぐ取り調べを始めた。 最初に栄次郎が呼ばれた。 「その方此度の一件よく存じおるそうだが?」 真悟の質問を受けて、しかしこういった経験の無い栄次郎は戸惑った。 何しろ下手を言ってお上から目をつけられでもしたら事だ。自然恐縮するのを、真悟の笑顔が救った。 「まぁ、茶でも飲みながら話してくれ」 役人らしからぬ居丈高な素振りを見せぬ真悟の柔和な眼差しと、その穏やかな微笑につられ、栄次郎も気が楽になった。 「へぃ、お茶なら最前より頂戴しておりやす。もうすっかり茶腹でして」 「はははっ、そうか、茶腹な、ははははっ」 屈託なく笑う真悟に、栄次郎の後に控える証人達も表情を崩した。
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