―狂気―

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世間の無情に耐え、愚直に、ただ真面目一方に生きる彼ら。報われず、顧みられることとてない彼らの凍え切った心を自分の肌で慰められるものならば、たった一夜なりとも慈しんでやろうと当時のお紺は思ったものだった。 お紺自身捨て子の身の上であり、いうにいわれぬ苦労を重ねてきたのだ。 「銀八、その方、己の犬でありながら幼女が襲われているにもかかわらず捨て置いたのは如何ような所存か?」 「犬が勝手にしたことでさぁ」 銀八は空とぼける腹のようだ。 「何しろあの図体だ。暴れ出したら、こっちとらどうにも止めようが無いってことなんで」 そう答え愛想笑いを浮かべる銀八。 「では尋ねるが、そのような凶暴な犬をなぜ連れ出したのか?」 この問いかけに銀八は笑いを消し、硬化した地色を顕した。 「犬を散歩させるぐれぇ当たり前でしょう。ついでに言やぁ、首輪につなげなくったって、ご法に背いてるわけじゃない。いや、むしろご法に敵ったことじゃねぇんですかい?」 銀八の気色ばんだ物言いにも真悟は平然と、「飼い犬がしでかしたことは、飼い主たる者の責となる。あの女児は、先ほど死んだぞ」と口にしたのだが、その言葉は、予想されていたとはいえ、銀八以外の者に衝撃を与えた。お紺は、聞きたくない事実を前置きも無く突然突きつけられてしばらく呆然としていたが、そのうち俯き、無言のまま手拭いで涙を拭い始めた。 栄次朗は内心の怒りに任せて銀八を睨みつけている。 ……鉛を呑み込んだような静寂……。 その重い沈黙を破ったのは銀八であった。
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