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─お紺─
寒さが滲みる日だった。
両国橋を東側へ渡ってしばらくすると、大通りの両側に商家が軒を連ねる界隈へさしかかる。
寒風吹きすさび、いっこう気温の上がらぬ気配に、前屈みに伏し目がちの人々が足早に行き交う。
……人だかりがあった。
その人だかりが何事かと更に人を引きつけている。
外周にいて、中の様子を伺おうとするつま先立ちの有象無象。
「はい、ご免なさいよ」
一人の女が、その円を成す人垣の一郭を崩し割り入ろうとした。
「なにしやがる」
そう文句をつけようと振り返った男が、ハッとして二の句が継げなかったのは、女が並の器量ではないせいだった。
年の頃は二十四、五。粋筋好みの鮮やかな黄八丈を着こなし、黒襟から覗く白いうなじが艶かしく、何れどこぞの囲いものだろうが、所帯じみぬ垢抜けした様に圧倒されたのだ。
他の者も同様、場違いな女の容姿に自然退いた間隙を縫い、会釈しながら通り抜ける甘い香りに表情が緩んでいる。
だが、通り抜けた先で目にした光景が、今度は彼女の口を塞いだ。
一匹の犬。
しかも巨岩を想わす褐色の犬が、何かをくわえている。
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