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「若旦那、いったいこれは何なんです?」
「これ、とは?」
「あの犬、旦那のなんでしょ?」
「ああ、そうだ俺のだ」
やっぱりと、お紺は得心した。
「じゃあ、すぐ何とかしてくださいな」
お紺はじれったそうに、若旦那と呼ぶ男につめ寄った。が、男は、「知らねぇな」「だいたい、あいつは俺の言うことなんざ聞きゃしねぇよ」と、まるで取りあわない。
「子供が死んじまうよぅ」
男の胸倉を掴んで、お紺は身悶えした。
「知らねぇって言ってるだろうが!」
邪険に女を突き飛ばし、倒れたお紺を見下ろしながら男は、「そんなに助けたきゃ、てめぇが助けりゃいいじゃねぇか」と、せせら笑う。
「こりゃいいや。お紺姐さんが犬とじゃれ合う図なんざ、めったに拝めるもんじゃねぇ」
それまで事の成り行きに耳をそばだてていた男の取り巻きが、下卑た笑いと共に囃し立てる。
お紺は悔しさに下唇を噛みしめながら、砂を掴んで立ち上がれない。
「おらっ、どうしたぃ、餓鬼が死んじまうぜ」
「畜生!!」
キッと睨み返すお紺。
「おお、怖ぇ怖ぇ」
男はお道化、笑いながらその場から離れる。
顔を上げ、犬にくわえられている幼女を窺えば、なるほど先程より顔色が黒ずんで見える。放っておくわけにはいかない。しかし……。
「だれか、だれかお役人を連れて来とくれよ!」
お紺は声を張った。
「もう呼びに行ってる」
遠くで誰かが叫び返した。
絶望が辺りに漂い始める。
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