《遺書・遺詠-壱-》

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[若杉潤二郎…24歳]  母上様  先日は突然帰って驚きの事だったろうと想います。未だお会い出来るものと考えて居りましたが二日後には九州の地へ一足飛びに来ました。  早速お便り差し上げようと思いながらさて改まって書く事も無く過ごして来ました。  何の親孝行も出来ず心苦しく思います。二十六年幸せだったと心から思います。有難うご座いました。一足先、父上と大好きだった園ちゃんのところへ参ります。  入営と同時に皇国のため捨てる命と定めておりましたがやっと年来の希望かない特攻の大命を拝し喜んで死んで行きます。お母さんは喜んでくれると信じます。大命を拝して以来色々と親切にしてもらいあたりまえの事をする吾々にとっつては心苦しいくらいです。  自分も小隊長として可愛い部下三名、十九と二十の若武者を引きつれて突撃して征きます。花はつぼみと云いますが本当に清らかなものです。篠原、田中、山本の三伍長です。  この手紙がつく頃は見事戦果をあげてみせます。自分よりこの三人の可愛い部下のため祈ってやってください。  何か書かなければと思いながら筆が進みません。  金銭と女性関係はありません。  貯金、妹のため何かに使って下さい。僅か三時間でも皆んなに会えたのも父上の引き合わせと思います。  くれぐれもお身ご大切に長命を祈って居ります。  お元気でお元気でお過ごし下さる様。  では征きます。必ずやりますからご心配なく。  皇国の弥栄(いやさか)祈り           玉と散る    心のうちぞたのしかりける           潤二郎 若杉潤二郎大尉(長崎県) 第61振武隊 昭和20年4月28日戦死
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