《遺書・遺詠-壱-》

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[宇佐美輝夫…18歳]  御母様 いよいよこれが最後で御座います。  小さい時より御母様には御心配ばかり御掛けして来た私ではありますが、今こうして出撃命令を受取ってみますと何だか一人前の男になった様な満足感が全身を走ります。  いよいよ一人前の戦闘操縦者として御役に立つ時がきたのです。前にも書いた通り一家の名誉にかけても必ず必ず頑張ります。  御優しい、日本一の御母様。  今日、トランプの占いをしたならば、御母様が一番よくて、将来、最も幸福な日を送ることが出来るそうです。御父様も日は長くかかるが帰ってきて一緒に暮らすことが出来そうです。輝夫は本当は三十五歳以上は必ず生きるそうですが、しかし大君の命によって国家の安泰の礎として征きます。御両親様の御写真は一緒に沈めることはいけないことなのだそうで、今ここに入れて御返し致します。  毎日、輝夫の行動、操縦等を残らず見ていて下さった御優しい御写真と今日、別れると思うと、実に淋しいものがあります。御写真と御別れしても天地に恥じざる気持にて神州護持に努めます。短いようで長い十九年間。よい事も悪い事もすべて諦め忘れてただ求艦必沈に努めます。  発表は御盆の頃でしょう。今年の御盆は初盆ですね。山を眺めると福島の景が想いだされます。  日本一の御母様、何時までも御元気で居て下さい。御父様には別に書きません。蒙古には連絡が取れないと想うからです。では元気に、輝夫は征きます。  永久にサヨーナラ。  翼折れ操舵桿はくだくとも   求めて止まじ敵の空母を  沖縄に身ごと突込み         散るさくら   空母は冥土の途(みち)づれに  特攻と散りゆく桜花吹雪   晴れの初陣生還を期せず 御母様へ 宇佐美輝夫少尉(福島県) 第180振武隊 昭和20年7月1日戦死
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