《遺書・遺詠-壱-》

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[和田照次…21歳]  お父さん  お母さん  お元気ですか。  今日私は特別攻撃隊員として出撃致します。  こゝ知覧は昨年八月より十一月まで居った所だけに一木一草みな懐かしく思われます。隊員を命ぜられてから今日に至るまで無事任務を完遂出来る事のみを念じて居りました。  出撃の時は来ました。今はひたすら神明の加護を念じて居ります。  酔生夢死の人生、といった人生の多い内に敵艦必沈と言う大きな究極の目的をもって閉ずる私の人生は神々に祝福されたものと思います。  小さい時から肉親兄妹の溢れるばかりの愛情の内に育まれた私は本当に幸福でありました。私の希望或は我儘をみなきゝ届けて下さった私の人生は誰よりも幸福であり充実されたものでした。それに引換、我が子として御両親に何ら報ゆる処なくして征くを非常に遺憾と致します。  昨年の七月以降遂にお目にかゝる機会はありませんでした。しかしあの時夏の清々しい夕べ、明るい燈の下で皆様と楽しくお話した時の事はいつも忘れませんでした。  私が居なくなってもみんな元気でお父さんは外でお働きになる。お母さんは内の仕事ヲおやりになる。けさ江やふき江、ともえはすこやかに大きくなって幸福な家庭を持つ様になる。そして皆が明るく楽しく扶けあって美しい生活を営む。私はそれを希いそれを祈って居ります。  出撃前で時間がありません。  私の心は如何にしてもこの大業を完遂する事とみな様の御元気であるを願う事です。  では御機嫌よう  さようなら  照次  皆様へ  六月六日 和田照次大尉(長野県) 第165振武隊 昭和20年6月6日戦死
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