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 再度尋ねる女の声に、答えはない。  あるのは、沈黙を守ったままの白鬼の中を駆け回り、淀みを残して揺らぐ影だけ。返されるのは、闇を背負った沈黙。  それに気付かないよう、女はそのまま深く瞳を覗き込み、優しく微笑むように唇の端を持ち上げた。 「きれいな瞳を、してるのね。あなた」 「……別に」  優しい声から逃れるように女から視線を外すと、白鬼はそのまま自分の視線をアスファルトの固い地面の上に落とした。  同時に目に入る、ドス黒く汚れた服の裾や、未だ滴り続ける左腕には目も向けない。  視界に入ってはいても、理解などしない。それが、在るべき姿かのように。 「どうして? すごくきれいよ。真っ赤な、浄化の炎みたい」  誉める女を嘲笑するように、焼けた刃のような鋭い瞳で女を睨みつける。  しばらくしてから、白鬼はそのまま女に背を向けた。その背中に向かって。女の柔らかな声が響く。 「私は癒那(ゆな)。あなたの名前は?」  その声に闇の中で一瞬立ち止まると、振り返りもせず、白鬼は静かに自分の声を闇の中に震わせた。  静かで抑揚のない、ただ誰のために紡がれたわけでもない、闇に溶けるために放たれた声に、女・癒那は満足げに笑い、向けられた背中に軽く手を振った。 「また会いましょう」  それを背中で聞きながら、暗い路地の中に己の姿を隠して進み始めていた白鬼は、いつまでも自分の胸元の服を、強く強く握りつけていた。  
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