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愕然と打ちひしがれる拓海の目の前にすっと手が差し出される。
「大丈夫か」
言葉とは裏腹に心配している様子を微塵も感じさせぬ、抑揚のない口調で手を差し伸べられる。
それが誰なのかは考えるまでもない。
拓海は恐怖に脅えつつ、男の手を借りる。ガクガクと笑う膝を崩れぬよう耐えながら、何とか立ち上がった。
すると店員はどこからか、取り出した小さい椅子を玖郎に手渡す。手渡された玖郎はすぐに意味を理解し小さめの椅子をカウンターに設置した。
拓海は平坦な声の男に肩を借りながら遠慮がちにそこに腰を下ろし、ひとつ、大きな溜息を漏らした。
少し落ち着いてきた頃、店員は拓海を手招きして呼んだ。
「予備軍、お前は知らないだろうがこの方は、裏通りを仕切る香月組の組長、香月蒼さんだ」
別段、裏通りについて詳しいわけでもない拓海は、今、初めて裏通りをヤクザが仕切っている事を知った。
拓海は誰がこの地を治めているのかよりも、もっと引っかかる事を耳にし、ついオウム返しにしてしまう。
「…組長?」
もう1度、自分に手を差し伸べた男…香月蒼の姿を視界に入れる。上から下。下から上へ…と何度も蒼の身体を眺めた。
蒼の容姿は近くでまじまじ見ても若く、30手前といった位に見える。
その筋に詳しくない拓海に香月組の規模は計り知れない。
実際、香月組はそれほど大きな組ではない。この地区でも知ってる人間は裏通りを生活の主としている人間。若しくは、事務所の近所の人間程度で知名度に関しては、あまりない。
香月組の活動も気まぐれにみかじめ料を徴収する程度で、ひっそりとしたものである。
それでも香月組には、長い歴史を持つ由緒正しき組合だ。
香月組は初代組長の頃から、実力社会の中、血統のみで受け継がれている。その香月組の歴史の中、若干17歳という若さで組長の座を譲り受けたのが、蒼だ。香月組史上最年少組長。それすらも、知る人は少ない。
因みにその頃も無口な性格はそのままだ。
蒼は拓海の呟きに対して、無言ではあったが律儀に首を縦に動かし、肯定の意を表した。
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