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「ッ……」
拓海は全身の血が急激に熱を失っていくのを初めて感じた。
全ての音が遠く、街中を流れる人間の姿などは幻であるかのように、拓海の世界に唯一存在を許されたあづみの声が何度も脳を揺らす。
2人の間にのみ訪れた静寂は、時間という概念すらもを失わせ、どちらかが、言葉を発し静寂を途切れさせる瞬間まで、時間の流れは復活する事はないだろう。
拓海は今までのどんな時よりも脳の回転数をあげて、考えた。
所詮は2択問題。
最後まで拒絶するか、自分が折れて家へ招き入れるか。
どちらにせよ希望を見いだすためには、拓海が覚悟を決める以外ない。
じっと刺すような視線で見据えるあづみ。
この視線が意味する所は何なのか。拓海にはやはり解らない。
あづみはただ拓海を正面に見据え、沈黙を破り答えを告げられるのを待つ。
あづみは、拓海が嫌だというならそれでもよかった。
でも隠し事をされるのは気分が良くない。
だから引き下がる事をしない。
それと同時に、拓海が逃げに走らせないためでもあった。
拓海は都合が悪くなると、必ず今のように視線を反らして逃げる。
それは癖と同じで矯正する誰かが居なければ、いつでもしてしまう。
拓海は、人生の半分以上を惰性、成り行き…そうやって逃げてきた。
それをあづみは知っている。
だから拓海が自ら考え、導き出した答えを口にさせる事が重要なのだと、視線を合わせている。
すると拓海の目の色が少し凛々しい輝きを放った。遂に選択したのだ。
「……来ていい」
今日のあづみは、どうにも折れそうにない。
そう感じた拓海は家に入れることを決意した。
結には、電話で服を着ておくように後で指示を出しておくことにした。
「やったぁ」
拓海の顔から手を離し、両腕を空にかざして笑顔であづみが喜ぶと、街中の雑踏、喧騒、夕暮れの日差し、蝉の鳴き声……その全てが色を得て拓海の前に復活した。
あづみに気付かれぬよう、呆れた顔を作って安堵の溜め息を漏らす。
あづみの喜びは、了承が下りた事にもあるが、大部分が拓海が自ら道を切り開いた事にあった。
若干流され気味の答えだったが、覚悟した瞳は何か考えがあっての事だ。
あづみは拓海の成長を喜ぶ。
それを知らない拓海は結へ連絡を取る為、機嫌の良くなったあづみと席を立ち、さっきのスーパーにトイレがあった事を思い出すと、2人で舞い戻っていった。
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