君がいるだけで

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 ルール違反だと思う。  下唇の輪郭をかすめた指先をうらめしく睨み、指先のさらに奥でかすかな笑みを浮かべているであろう人物を憎らしく思った。  唇にはぞわりとした感触が残り、触れられたということを示すようにそこだけがほのかな熱身を帯びている。  おそらく今の自分は頬をよく熟れたりんごのように紅潮させ、不機嫌な顔で眉を吊り上げていることだろう。  そして、その様子に相手はきっと笑いが止まらないはずだ。  普段はろくに表情を変えない相手ではあるが、今ばかりはほくそ笑む姿がはっきりと想像できる。      なによ。      忌々しげに心の内でつぶやき、うっすらと瞳を伏せた。      キスさせるかと思った。      部活の練習がきつくて、体力がないからと組まれたここのところの特別メニューに疲れて、ついうとうととしてしまったのは、今のことだった。  みんなが帰ったあとの部室はいつも以上に広く感じられ、寂しさとか言うものよりも、普段と違う部室の顔に奇妙な楽しさを感じる。そこに流れる空気は特別めいていて、気付かなかった表情を改めて感じることができる。  その部室で、眠気でぼんやりとした頭の自分の顔に、クラスメイトの一人が顔を近付けてきた時はキスされるのかと思った。   「タコそっくり」    かすれた声が、唇から指を離しながら言った。  喉がからからになる。  聞き慣れた声もいつもと違って聞こえた。      好きなんだ。      すとんと、その言葉が自分の中に、とても自然に落ちてきた。      私はこの人が好きなんだ。      いつもと違う景色と、いつもと違う時間と、いつもと違うものすべてが、落ちてきた感情をすんなりと認識させた。      キスされたい。      湧き上がってきた言葉は、けれど外に出すのははばかられて、自分の中でもやもやと回転した。  瞬間、唇を塞がれた。
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