一章

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昔、平安時代のこと。 日本の政治を動かしていた、一つの宗教があった。 一国の政治を一宗教が左右するというのは、とかく稀なことではなく、日本も例外ではなかった、というただそれだけのこと。 しかし、それは宗教とするにはあまりにも特殊であった。 陰陽道。 古代中国の陰陽五行説に基づいて、天文・暦数・卜占などを扱う方術。 そして(こちらの方が、後の世に残るイメージとしては強いのだが)、鬼・あやかし・悪霊など、人に在らざる者・物・モノを調伏・封印する方術。 また、もう一つ。 表に知られざる、裏の役割──。   ∞  ∞  ∞ 大内裏の一画、陰陽寮の一室に、一人の少年の姿がある。 机の前に座り、一人書き物をしていた。 烏帽子や直衣からは、さほど身分は高くないことが分かるが、姿勢やその達筆さからは気品の高さがうかがえる。 「玄武(げんふ)、吉平(よしひら)は?」 静かに、しかし確実に、少年は己のみしかいないその部屋で、誰かに問い掛けた。 返すは当然、沈黙。 「もうとうに邸に着いているはずであろう。何故戻って来た」 外に見える空は、緋色に染まっている。 日の出とともに参内し、正午には家路につく文官であれば、とうに帰宅している時間だ。 普段はせわしなく人の多いこの陰陽寮。隅部屋とはいえ、この少年一人しか居ないのも、この時間のせいであろう。 少年は墨のたっぷりついた筆を、ことん、と音を立てて置き、袂に手を入れると一枚の霊符を取り出す。 「さっさと吐かないとぶっ殺」 「わあぁぁぁ!」 模範的な姿の少年から発せられた、ひどく模範的でない言葉を遮って、それまでは何もなかったはずの空間から、一人の少年が姿を現す。 現われた少年は、先に居た少年よりも幾許か幼いだろうか。黒羽色の、この時代では非常に珍しい短い髪に、同色の大きな瞳。袖をすっぱり落とされ、肩から先の腕が露出するような面妖な衣。 その少年は、先に居た少年の手から霊符を奪い取ると、ほっと顔を緩める。 「やめてください!時由(ときよし)様が言うと、冗談じゃなくなるんですから!」 その言葉に、先にいた少年─時由─は、にこりと柔らかい笑みを返すと言った。 「で、吉平は?」  
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