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ありすの思いとは逆に出版社ではありすの作品に細かな注文が付けられていた。
『確かに日本では通用する作品かも知れない!でもアメリカではこんな作品はたくさんあるよ!もっと個性的な作品は出来ないの?』
こんな事を言われたり…
『デザインは良いけど色の使い方がありふれてるわね?』
こんな事も言われていた。
じゃあ何故にありすの事をアメリカへ呼んだのか?
ありすの作品をアメリカの出版社へ持って行った人物がいた。
西脇 晴美さん
晴美さんはありすの代々木の会社の近くで住宅デザインの仕事をしていた。
何度かありすの会社へ足を運びそしてありすの作品と出会った。
晴美さんはありすがアメリカへ来る一年以上前からアメリカで仕事をしていた。
そして晴美さんはアメリカで何人かのスタッフと一緒に仕事をしていた。
ありすの作品は晴美さんの会社のスタッフの人達もかなり人気だった。
でも実際現地の人たちへは通用しなかった。
『家具の勉強をしなきゃいけないけど…でもその前に日本で描いたこの作品をどうにかアメリカでも通用する作品に仕上げなきゃいけない!』
ありすはその事だけを考えて絵を描き続けた。
どうしたらアメリカで通用するのか?
そんな事は晴美さん達にも当然わからなかった。
最高の作品だと思っていた…
ありすの作品の中では一番の傑作…
この作品をありすは毎日泣きながら直して行った。
正直な話…
俺はこの事を母さんに聞いて自然と涙が出て来た。
ありす…
里緒菜ちゃん達も知らない努力をお前はしてたんだね…
そんな事を思いながら母さんの話を聞いた。
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