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東部に流れる大河エレゴスの畔は、生命が宿る唯一の場所である。
短草が生い茂り、ここでは生物の姿を見掛けることも出来た。
戦火で焼けた一帯には、既に新しい芽が吹き始めている。
水流の音を耳にしながら男は馬の背から降り、両足を大地につけた。
好きに草を食む愛馬を眺め、周辺を見渡してみればつくづく自然というものの逞しさを思い知ることとなる。
無人の旧跡は形を保ちながらも風化し始めているが、周囲には青々とした草が生い茂っていた。
人が死のうとも、植物はまた芽を息吹かせることが出来る。
人と交わり、種を残さなければ生を紡げない人間とは違う。
当たり前のことに驚かされた。
ふと、その中に赤いものを見付ける。
近付いて確認してみると、それは一輪の花であった。
この付近にだけ分布する植物である。
色々と地方を見て歩いたが、似た色彩を放つものはあっても、この花と同じ種を見付けることは出来なかった。
男にしてみればよく見知った植物である。
正式な名をオルタニアといい、“祝い花”とも“寿花”とも呼ばれ、何かにつけては祝い事によく飾ってある花であったのを思い出した。
砂の世界に似つかわしくない、艶やかで甘い香りのする花。
母や女王が好んでいた。
最も、この廃れ後は風化していくのみの廃墟にはそぐわないように思える。
ただ、衝動的にその花を手折る。
手折った花を片手に、かつて王宮があった場所へと足を運んだ。
崩れ落ちたエンタシスの柱には、戦の爪痕が色濃く残っている。
焼けた跡、刀傷。
あれから随分と時間が経過したという証拠に、彫り込まれた装飾には砂が詰っていた。
人が入った形跡はない。
恐らくこの先にある先代の王墓は、未だ野盗などの手は及んでいないのだろう。
呪われた場所に入る酔狂な輩などいない、盗掘の心配はしなくても良さそうだ。
「(どうか、安らかにお眠り下さい…)」
祝い花を王宮の柱の下へと供え、膝を折る。
片手を大地に添え、片手を自分の心臓へ添える。
瞼を閉じれば蘇ってくるのは過去の残像ばかりで、初老の域に達した王陛下アクメネスとその妻スーリアが穏やかに笑っていた。
それは過去の記憶であり、現在起こっている事象ではない、眼を開けばそこにあるのは荒れ果てた旧跡。
これより先、未練がましく砂漠を訪れることはない。
砂の下に眠る同胞を叩き起こすような行為、そして過去に縋りつこうとする自分が滑稽ではないか。
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