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聖教―――大きく言うならばカルデナ皇国に対する憎しみが消えたのではない。
だが、所詮人一人の力では行動も何も起こせない。
そして突き詰めて思案した結果として、ひとつの真実に行き着いた。
今の自分を動かすのは“憎悪”“復讐”といったものだろう。
カルデナに赴いたとして、その後は何とする?
聖教が原因とはいえ、戦を断行したのはカルデナ皇王の決断だ。
そしてそれに対して反意を抱かなかった国民の罪でもある。
この世界の主流民族であるフロンティアが篤く信奉する聖教全てが仇であるというのならば、これから生きる先、幾千万のフロンティアを殺めればいいのだろう。
戸惑われるべきはそこだ。
衝動に突き動かされて剣を振るうのは、あの宗教戦争のときのカルデナ皇国と同じではないか。
憎悪を抱きながら聖教徒を殺めたとしても、それは同胞の仇ではなく単なる自己満足なのではないか。
何より―――例えそれを成したところで、いったい何が変わるというのか。
見上げる月天。
降り注ぐ光はどこまでも透明で寒々しく、まるで考えを見透かされ、それを嘲笑っているかのように思える。
砂漠で見る夜空は美しいと、そう思っていた。
まだこの旧跡が旧跡でなかった頃、上の兄たちとよく空を見上げていたものだ。
それが、今眼に映る月はどうだろう。
色彩が全て色褪せた世界に放り込まれたような錯覚に囚われ、望みすら希薄になり段々と移ろっていく。
何も意味を成さない風景にしか見えない。
風に流れていく砂を踏み締め、天上から眼を離すと踵を返し、愛馬の元へと戻る。
何と人とは力のない存在だろうか。
世を正し、世界を変えるほどの力が欲しいわけではないのだ、ただ生きるために強くありたいと思う。
反面、同胞の死を受け入れることが出来ない弱さ。
これから何を成すべきなのか、何処へ流れればいいのか。
それすらも分からない。
だから今は――――生きる意味を探している。
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