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砂漠地帯に聳え立つ、白き巨塔。
真白いローブを纏い、狂人たちが列を成して砂漠を横断している。
目深に被ったフードからは表情がうかがえないが、ある者は薄気味悪い笑みを浮かべ、ある者は何かに取り憑かれたかのように何事かを囁きながら、砂地を一歩一歩踏む。
列を成す人々の中には幼子を抱いた母も、腰を曲げた老婆も、年若い青年の姿も多く見ることができるが、共通して言えるのは皆の眼の中にある光が“狂想”に満ちているということだろう。
彼らは創世神話を信じる厳格な【聖教徒】だ。
巡礼地であるこの砂漠には、週末ともなれば多くの聖教徒たちが群れを成す。
彼らはこの不毛かつ荒れ果てた大地を“聖地”と呼んでいる。
宗教を篤く信仰しているからといって、彼らが異端者なわけではない。
ただ、この白い道を作る人の群れ群れは愚かな犠牲者でもあるのだ。
人はどのような時、“神”という存在に祈るだろう。
幸福な時、不幸な時、生まれた瞬間、死ぬ瞬間―――
否、それは全てに行き詰まった時。
“祈る”という行動は精神および肉体的な不安の“昇華”である。
神というものは、そうして崇められているに過ぎない。
一種の道具、および手段のため。
そう、偶像崇拝の理念である。
嵌め込まれたステンドグラスに表されている創世神は、彼らの不安を一身に受け、歪みながらも形を保っているのだろう。
それは妄想であるのか、それとも狂想であるのか。
果たしてこの中の幾人が、本当に“神”の存在を信じているのだろうか。
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