序 章 狂乱の果て

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 宗教は人を纏める上で最も重要な位置にあるといえるだろう。 国が国教と定めたものを信仰するというのは、一種の強制手段にも思えるが。 では逆に考えれば、国は何で成り立っているのか? 国にとって必要なもの“領土”“文化”“資源”。 そしてそれらを手に入れる上で最重要になってくるのは“人間”だ。 人が居なければ領土を手に入れることも、文化を作り上げることも、資源を見付け出すことも不可能である。 国王も人間に過ぎず、また高官や元老たちも人間に過ぎない。 国と民は密接であり、そして離れることが出来ないというのが事実だ。 それらを纏めるのに必要なものは、権力でも財でもない。 “信仰”という見えざる力。 王を敬えと一般市民が口にしても、大きな影響力はないだろう。 だが、それが“神”を経由したものであったとしたらどうだ。 不思議なことに人はそれに従う。 元を考えれば“神”という存在自体があやふやなのにも関わらず、天声だという偽りに踊らされ、国民は王の前に頭を垂れるのである。 それらが性だというのならば、何とも滑稽ではないか。 故に、宗教とは昔から一種の治安維持装置として活用されている。 権力者―――つまり、国王や皇王などからすれば、これほど楽に人を纏められる術はないだろう。 なればこそ、国教を定め人心を一つとするのだ。 そうすれば国内は滅多なことでは乱れない。 神という単語を使えば、国民は王の前に跪く。 都合がいい、そして危険度が極めて小さい統一方法だ。 それに左右される人間を、哀れと言わず何と呼べようか。 .
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